ドラちゃん
フラフラの状態で、奈良に戻る。
ドラちゃんとの愛称で親しまれていた、居酒屋の大将の突然の訃報を聞きつけ葬儀場へと向かう。ここんとこ調子悪いと言いながらも、お酒を控えていない様子が気がかりだった。
思えばドラちゃんの店に足を踏み入れたのは浪人のころ。居酒屋などの不特定多数を相手にしている商売人さんのところには珍しくデカデカと、当時の僕の相手候補のポスターが貼ってあった。
当然、ドラちゃんも相手候補の支援者。わかりきっている状況の店に、応援してくれてる人から「いっぺん、行こ。」と誘われて、とにもかくにも「よっしゃ、関係あらへん、堂々と行ったる!」と訪ねた。
店内にもマスターと彼女が一緒に写っている写真が飾られていたりと一色だったが、話をしだすと僕のことを「オモロイやっちゃなー」としきりにマスターがいじり出した。それでも、なんとなくお客さん全員からの凍った空気というのを感じながら、二階堂の一升瓶をがぶ飲みしてた。
マスターも負けじとばかりに、サントリーの角瓶を見る見るうちに空けていく。
べろべろに酩酊していく中で、L字のカウンターの向こう側から見知らぬお客さんに「ところで、君、勝てるかー?」と真顔で言われた。カッと、思わず、気持ちが熱くなって、「無理だと思っておられるんでしょ。でも、僕はがんばります!」と高ぶって言い放った。
しまった!!!、何言ってんだ!、俺は!。
いたたまれずにトイレに立った。およそ勝ち目がないとささやかれながら、必死に戦って、それでも不安に打ち負かされそうになり、何とか自分を保つことがギリギリの状態だった。酒のせいにはしたくないが、自分の弱さが初対面の方への失礼な物言いに表れた。最低だっ!、俺。
店の外にある公衆トイレに入りながら、そんな情けない自分に耐え切れなくなった。頭を抱えてうずくまりそうになるのを一生懸命に抑える。
しばらくして店に戻ると件(くだん)の客も、他の客ももう帰っていた。
マスターに「見ず知らずのお客さんに失礼なことを言ってしまいました。すみませんでした。ご迷惑かけました。」と頭を下げて店を出ようとした。すると、マスターが「あの客な、アンタが苦しんでんのん、心配しとったで。アイツ、正直な男やなぁーっちゅうて...」
まぁ、もそっと呑んでいき、と僕のグラスになみなみと角を注いだ。マスターのまん丸の顔の真ん中にちっちゃな目が笑っていた。ドラえもん、そっくり...。
以来、ドラちゃんとの交流は深まった。やがて店の前のポスターはまぶちすみおに代わった。
客と一緒になっての呑みすぎが気がかりだったが、元銀行マンだったドラちゃんのなかでは人生の帳尻という意味での勘定合わせが既にできているのかもしれないな、と感じていた。
最後に会ったのは、昨年の暮れ。電話かけてきて、「チョイ、顔見せよー」の声に「よっしゃ!」といつものように駆けつけた。ドラちゃんは、他の客に「な、ホンマに来たやろ。言うたら来んねん、まぶっちゃんはー」とうれしそうに語っていた。
ドラちゃんにいただいた厚情は、忘れない。
合掌。