戦後80年談話

戦後80年を迎えるにあたり、改めて、戦争によって尊い命を落とされた多くの方々に哀悼の誠をささげます。そして、先の大戦についての認識と、太古よりこの国に流れ続けている価値観と、更に、平和への希求と永遠の不戦の誓いを政治家として、ここに表明いたします。
(戦争に至った背景と明治レジーム)
まず、戦後80年を経た今、改めて、先の大戦の総括として、近代国家日本がなぜ無謀な戦争へと突き進み、国を破滅させてしまったのかについて、私の考えを述べます。
先の戦争、そして敗戦に至る経緯については、明治維新以降の社会構造、いわゆる「明治レジーム」に目を向けて検証する必要があると考えます。
明治維新は既存秩序を一掃したいわば「革命」であり、日本史上かつてない強力な中央集権国家を成立させました。それにより、近代的な殖産興業を可能とし、外交上の独立を保った一方で、国内で異なった立場の政治勢力が牽制しあいながらも共存する土壌が、失われてしまった面もありました。
また、明治維新は欧米の市民革命とは異なり、民衆の蜂起によるものではなかったため、国民は主権者ではなく、あくまで天皇に仕える「帝国臣民」であり、国益も「国民益」ではなく、帝国の統治秩序、つまり「国体」護持に資することと理解されていました。国体概念は憲法と一体化し、時には憲法の上位概念として機能し、国体護持のためなら法を無視しても構わない、という思想が、一部の軍人や政治家に醸成されていきました。
さらに、明治政府の思想的背景として、吉田松陰の「幽囚録」に記された領土拡張的な覇権主義が存在しましたが、維新の功労者たちは、この覇権主義が当時の日本の国力からすれば誇大に過ぎることを十分理解し、抑制的かつリアリズムに則った外交防衛政策を採りました。しかし、日清・日露戦争、第一次世界大戦の成功体験を経て、一部軍人と政治家は、国力への過大評価と共に、強権的な外交防衛政策への欲求や野心を高めていきました。
こうした変質が昭和初期において一線を越え、中国大陸への領土的野心と結びついたことが、先の戦争発端の要因であり、暴走を決定づけたのが柳条湖事件から連なる昭和6年の満州事変でした。
それ以降、「法」と「国民」が不在のまま、政治と軍は内部の不毛な派閥争いに明け暮れ、異なった立場の存在を許さず、展望と戦略性なしに軍事的な危機を煽っては国民の不安と緊張を高め、秩序外の暴走を加速化させました。結果、暴走への追認が繰り返され、ほぼ確実な敗戦が予測されていたにもかかわらず、誰も開戦を止めることができず、破滅的な日米戦争に突入していったのです。
強力な中央集権思想の下に、国内に当時の政治状況をただす健全な批判勢力が育たず、一部の暴走を止められる土壌がなかったこと、冷静に国際情勢を見据えた合理的かつ覇権主義を押しとどめる抑制的なリアリズム外交を放棄してしまったこと、つまり、内政及び外交両面においての「統治のバランス」が失われたことこそ、国内における先の戦争と敗戦の本質であります。
(日本の古来の歴史観、共生の価値)
「天つ神」と「国つ神」。
古来、この二つの「神」を崇拝してきた事実から、我が国の精神性には、多文化共生の理念が通奏低音のように響き続けてきた経緯を推察できます。
天つ神は中央集権的な秩序を体現する神々であり、その頂点に位置するのは伊勢の神宮に祀られる天照大神です。天照大神は、皇統譜において126代目とされる今の天皇陛下にいたる皇室の神話上の祖先神とされ、国内統合の求心力を象徴してきました。
一方、国つ神は地方分権的な活力を体現する神々であり、それを代表するのは出雲大社に祀られる大国主神であります。大国主神は国内各地における独自性・多様性を象徴してきました。
そして、我が国の長い歴史においては、国内の統合が決定的に崩れたことも、地方の主体性がまったく押さえつけられてしまったこともありません。
天つ神と、国つ神の統治の間、律令制の導入により中央集権制の朝廷が建てられ、その後、武家社会による分権統治体制へと移行し、再び明治維新により中央集権近代国家が創られるなど、幾度も二つの系譜の間で「国譲り」が繰り返されてきたのです。
我が国は、天つ神と国つ神への崇拝に示される中央集権的な秩序と地方分権的な活力を併存させ、そのバランスを保つことで、これまで歴史の断絶を免れ、統一と多様性を失うことなく、大きな発展を遂げることに成功しました。「敵対」ではなく「共生」の価値観によって、長く実り豊かな歴史を紡いできたのです。
このような我が国の歩みは、多文化共生が以前にも増してより強く求められる今後の国際社会において、世界に誇る高い精神性の表れとして示されるべき国民の叡智と言っても過言ではありません。
「日本は元来、中央集権的な思想と、地方分権的な思想を併存させることで互いに牽制しあい、統治のバランスを保ってきた」ことの価値を今こそ私たち自身が深く認識し、大切にするべき時なのです。
(今日の政治に求められるもの、平和への誓い)
昨今の国際情勢や、国内の政治状況を見ても、いずれの社会においても対立や分断が著しく進んでいます。
戦後80年、日本は、自発的な対米従属を続けながら復興と高度経済成長を遂げましたが、その後、米国主導のグローバル資本主義に絡めとられ、格差が拡大するなど社会に大きな歪みが生じています。そして今、グローバリゼーションをけん引していた米国自身が、トランプ大統領の登場により自らが築いた旧連合国主導による戦後レジームを破壊し、世界は多極化の中で新たな国際秩序を模索しています。
こうした混沌(カオス)の中で、相手を敵と味方に峻別し、自ら異質と考えたものを排除し暴走していく社会が到来しかねないことに、私は危うさを感じています。
わが国の政治に、中央と地方が自立して牽制しあう統治体制、多様で異なる各政治的立場が健全かつ真剣に議論を交わす政治状況、冷静に国際情勢を見据えた合理的かつ抑制的なリアリズム外交といった内政・外政両面での「統治のバランス」を確立し、他者を敵として排除しない共生型の社会を目指す。
そして、政治権力が牽制しあい共存する土壌を維持、発展させ、内に向かっては国民の分断を解消し、外に向かっては冷静かつリアリズムに基づいた外交を展開することで、一人一人の国民のための、平和で豊かな社会を実現する。
その実現のために、私の政治生命の全てを賭けていく。
戦後80年、その決意を胸に、改めて国政での取り組みを進めて参ります。