第1141号 乱高下する株価と円

2024年8月10日 (土) ─

 株価が過去最大の乱高下を繰り返しています。

◆株価と為替・金利の関係
 株価・為替・金利の関係はよく分からないという声をよく頂きますが、基本的なメカニズムはこうです。

 利上げ、つまり金利が上がると、お金を借りにくくなり、企業は事業を縮小する方向に向かいます。個人も金利がつくので貯金をした方が得という意識が働き、株への投資意欲が減少します。これらの効果で一般的に株価が下落する傾向にあります。

 株価の乱高下は為替とも密接に関連します。

 円安だと、日本の株が格安で購入できるので、海外の大手ファンドは日本株を買いあさりますが、逆に円が高くなると割高で、株を売りさばこうとします。現在の日本の株式市場は、3割以上を海外の投資家が保有しており、大きな影響力を持っています。

 よって、円が上がれば株価も下落するという一般的な関係が出来上がっているのです。今回は、株価暴落と円高騰が連動して発生しました。

◆日銀の責任は大きい
 今回の株価乱高下を招いたのは日銀の責任です。

 まず、金利引き上げの判断をする上での日本経済に対する認識が誤っていました。賃金は上昇し、物価もデフレを脱して上昇傾向にあることから、日本経済は潜在成長率を上回る成長を続けると考えていたのです。

 しかし、GDPの1月から3月までの統計を見れば前期比マイナス0.7%です。大企業の決算は好調ながら、庶民は生活に苦しんで内需は低迷したままです。利上げをしてお金の流れを引き締めるにはまだ早かったのです。

 この状況下で、市場は、まだ利上げは無いだろうと思い込んでいたふしがあります。そこに、金利を現在の0~0.1%から一気に0.25%に上げてしまい、また植田総裁が今後の継続的な金利引き上げを示唆したため、市場から資金が撤退し、パニック的な暴落につながったと考えられます。それと連動して円高も進みました。

 今回の決定は、利上げにより利益を得る銀行などの要望や、総裁選を前に好調な経済を演出したい自民党の意向があったのかもしれませんが、あくまで決定は日銀です。つまり、日銀に暴落の責任はあったのです。

 例えば金利をいきなり0.25%に上げるのではなく、0.1%に固定するなど、急激な変化を防ぎつつ景気の上昇を待つ選択肢が日銀にあり得たのではないかと考えています。

◆これから必要な経済政策
 第2次安倍政権以降の経済政策には、緩和によって市場への一時的な資金流入を増やすことと、円安誘導政策はあったものの、肝心の成長戦略が欠けていたため、日本経済の浮沈が金融と為替に依存した構造になってしまったと言えます。それが今回のような乱高下の原因となってます。円安と海外投資家を中心とした株高によって、大企業中心の政策が推し進められ、その範囲において日本は潤ったかのように見えました。

 しかし、その潤った分を適正に国が回収し、庶民の生活の向上と新産業の育成にあてる、「再分配」の視点が欠如していたがために、儲かっている層だけで経済を回すような脆弱な経済構造になってしまっているのです。これが改善されない限り、不安定な株や為替の動きは、今後ますます強まっていくことでしょう。

 金融政策と為替だけで日本経済をコントロールしようとせずに、地道に個人消費を中心とした内需の回復と、産業の育成を図っていく事が、パニック的な株価の乱高下と為替の変動を防ぐ道だと考えます。

 そのためには大衆に恩恵のある減税も必要ですし、減税だけでは恩恵の少ない層や若い世代向けの給付も必要です。再分配による成長を促すことが、安定した力強い日本経済を生むということが、今回のパニックから得られる教訓だと思います。

 

スタッフ日記「1970年・夏」
 今では考えられませんが、私が子供の頃の夏は今ほど暑くはなく休みには友達とサイクリングや野球等をして1日中楽しく過ごせていました。

 記憶にある夏の思い出といえば、1970年の3月から始まった日本万博博覧会(大阪万博)のことです。

 当時小学生だった私は、テレビで見る夢のような博覧会にすぐにでも行きたくて、両親に春休みになったら万博に行きたい行きたい、と弟と2人で何度も駄々をこねました。

 父の仕事が土産品の卸売業で、繁忙期の春休みは無理だとアタマではわかっていても、春休みに家族で万博に行くんだ、と楽しく話す友達の姿をみていたらうらやましくなったのです。

 そんな時、父親に万博協会から電話があり、父が製造販売している奈良の土産品を日本館の売店で6月からで販売して頂くことが決まりました。

 とはいえ、商売のことは当時の私たち兄弟には興味のない話でした。

 父から夏休みになったら家族で配達の手伝いをするように言われると、なんで夏休みに配達の手伝いなんかと少し不満にすら思いましたが、母からそれが万博に届ける商品の配達やで、と聞くや否や、大阪万博に行ける!と兄弟2人は大喜び。

 さらに父から、これから何回も配達に行くから手伝うか?と聞かれても、調子よく「ハイ」と即答する始末です。

 夢にまで見た万博、楽しくて仕方がありませんでした。

 しかし、ツラかったのが行きと帰りの車中。車には今のようにクーラーがついていなかったので、往復4時間は暑くて暑くて…。

 夏の暑い日の思い出です。 (ブースカ)

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