第1085号 先送りできないこと
通常国会は6月21日に閉会しましたが、一言で総括すると、防衛増税の是非、少子化対策の中身の議論と財源など、国政の重要課題が先送りされたに過ぎない国会でした。
◆先送りが生じる理由
防衛増税は、再来年度以降へ先送りが示唆されていますし、少子化対策の具体的な財源の提示も早くて今年末という遅さです。こうした先送りは、もはや近年の国会の定番です。
なぜ先送りばかりになるのでしょうか。
それは自民党安定政権下で、政治の主要な争点が、長期的な国家のあり方を巡った与野党対立ではなく、短期に行われる自民党総裁選と、そこで有利に立つための衆院解散総選挙の時期をにらんだ駆け引きに堕してしまっているからです。
無難な現状維持を続けている限り、総選挙で今まで通り政権を維持できるし、総裁選でも勝利できるという時の総理の考えが、政策課題の先送りと社会の停滞を招いているのです。
しかし、もはや日本に課題を先送りする余裕は全くありません。とりあえずは現状を維持し、問題が大きくなったら、その時はその時で考えれば良いという思考では、衰退は加速する一方です。
◆もはや一刻の猶予もない
私自身、先の国会では、もはや先送りが許されない課題に対して国会質疑を行うよう努めました。
例えば物価高に対しては、生活が苦しい世帯への3万円給付の遅さと、給付のたびに繰り返される高額の事務経費の問題を指摘し、高速道路問題では、「約100年後に無料化」という、誰も信じることの出来ない問題先送りの法案を厳しく批判しました。
また、防衛については、自衛隊員が定員を満たしていない現状を明らかにしたうえで、このままでは部隊の維持が困難になり、防衛が成り立たなくなる可能性があることを踏まえ、先送りできない人材確保の問題を取り上げました。
◆「失われた=先送り」の30年
バブル崩壊以降、失われた30年とよく言われますが、その本質は、問題を先送りし続けた結果として、社会が変わることができず、成長できなかった30年だと言えます。
例えば、国民負担が増え続けると、消費が低迷して経済が成長しないことはこの30年の経験で分かりきっているのに、相変わらず政府は負担を増やす話しかしません。
少子化対策に至っては、29年前の1994年にはすでに、エンゼルプランという子育て支援のための総合計画が策定されていたにもかかわらず、たいした成果も得られないまま、若者支援など根本的な少子化対策は置き去りにされてきました。
昭和の経済発展による蓄積が大きいため、今のところなんとか社会が安定しているように見えますが、実態は次々賃金水準や経済成長率で諸外国に抜かれ、いよいよ貧しい国へと転落しつつあるのが日本の姿です。
国家は永遠に続いていくものですが、その行く末を左右する政策への対応はリミットがあります。先送りできないことを先送りするだけの政治とは決別しなければいけません。
政局や選挙で右往左往することなく、先送りできない課題について、今後も議論を挑みます。
スタッフ日記「痛かったら言ってください」
日頃の不摂生が祟ったのか虫歯になりました。
地獄の責め苦のような激痛に耐え兼ね、事務所近くの歯科医院に行くと、幸いなことに歯医者さんは大変親切で、現状と治療方針を丁寧に説明して下さいました。
治療中も親切で、折を見ては「大丈夫ですか?」と気遣ってくれます。
大丈夫かと聞かれると「大丈夫です」となんとなく答えてしまうもの。しかし、各種のチューブやらドリルが突っ込まれ、大きく開かれた口からは「あいよううれふ」という「大丈夫」になり損ねた音声が消えてゆくばかりです。
これは果たして何が正解なのか。喋ったところで言葉にならず、しかもドリルが変なところにぶつかりでもしたらエライことです。かといって、うなずいて頭を動かすのはもっと危ない気がします。でも親指と人差し指でマルを作って「OK」とするほど先生と親しいわけでもありません。診察台の上で私は激しく懊悩することとなりました。
そういえば、歯医者さんでよくある「痛かったら手を上げてくださいね」というアレもちょっと迷うところです。
大人ですから少々痛いのは我慢して、耐えがたい時のみお知らせするべきなのか、いや、でももしかしたら歯医者さんは「痛みがある」という事実を知りたいのではないか…?心の中はたいへんおしゃべりなのですが、口の中でドリルが唸りを上げている状況ではそんなことを聞けようはずもありません。
計5回、最後は親しらずまで抜いて治療は終わりました。痛みよりも答えのない問いで悶々としないためにも、歯みがきはちゃんとしようと固く決意しました。 (シズ)