第914号 2020年頭所感
新年あけましておめでとうございます。
◆再誕序章
昨年は「猪突猛進」ならぬ「勇往邁進」を掲げ、無所属の立場から野党政治勢力の結集めざして、突き進む覚悟を新年にお伝えしたところでありました。
そんな中、年明け早々に、突然の繰上当選の報が舞い込み、「図らずも」ではありましたが、2月5日、無所属の立場で衆議院議員として6期目の議席を預かることになりました。議員としての活動を再開するに当たり、多くの皆様方から「再誕ですね!」とお声がけを頂きましたが、私としては、解散総選挙にて議席を得て初めて再誕を実現することになる、という思いが頭から離れませんでした。
そして、同じ子年の生まれ年であらせられる徳仁皇太子殿下が天皇陛下に即位される御代替わりの時を経て、オール奈良を謳い闘った参院選、無所属の立場からの野党統一会派への参加、4年ぶりの予算委員会委員拝命による質疑、持論である消費税減税に関する野党横断の勉強会の設置、新勢力であるれいわ山本太郎氏との連携など、政権と対峙する新たな選択肢となる野党勢力結集に向けた取り組みを、一歩一歩、前に進めてきたと自負するところでもあります。
◆再びの生命
そんな中、11月初、吉野山中で交通事故に遭遇いたしました。全身打撲、手足骨折、内臓損傷と重傷の中、日没まであと10分しかなく、間に合わなければ飛行不能となるギリギリのタイミングで、ドクターヘリで奈良県立医大付属病院高度救命救急センターに緊急搬送されました。腹腔内出血でショックを起こす寸前の状態の中、医大病院医療チームの先生方の懸命なご尽力により、一命を取り留めました。
ドクターヘリ搬送が間に合わなければ、陸送で3時間近くを要し、私の生命はなかっただろうという事を、後に救命救急医より知らされました。まさに、再びの生命を与えていただいた思いです。ドクターヘリに運ばれるまでの間、危険な状態であることを知らされ、一瞬、「私の命もここまでか・・」と覚悟した時、走馬灯のように駆け巡るその風景は、家族とのひとときでもなく、あるいは若き日の想い出でもなく、ただ、一つ、国会本会議場にフラッシュを浴びながら入りゆく自らの姿でした。応援いただいた皆様に何も恩返しすることなくこの世から去ってしまうかも知れない無念さがこみ上げてきたのでした。その状況における、救命救急処置は、まさに私に再びの生命を与えていただけたものだと、強く感じています。
◆真の再誕へ
あらためていただいた、再びの生命。肉体は文字通り「再誕」を経験した思いです。2ヶ月に及ぶ療養生活で、私は達観の思いでした。何も恐れるものはありません。ただ、天の配剤によって私は生かされ、そして、自らの使命に向けて、焦ることなく着実に突き進む時間を与えられました。それは、単に、自身の再選ではありません。この国に、政権交代可能な二大政治勢力の結集を果たすことです。それは二大政党制を意味するものではありません。連立政権構想も含めた、政治勢力の結集に、与えられた「再びの生命」を賭けて、取り組みます。
今年、私は「還暦」を迎えます。年男として、大きな飛躍を目指して頑張って参ります。
スタッフ日記 「少しずつ少しずつ」
「何となく、今年はよいことあるごとし。元日の朝、晴れて風無し」。正月になると石川啄木のこの短歌が思い浮かびます。
啄木といえば、童顔で線の細い容姿、早逝したこと、そしてその作風から純情なイメージを持たれがちですが、ところがどっこい遊郭に行きすぎて金がなくなる/友人から金をせびってはその金でまた遊郭に行く/自分の結婚式を欠席/師匠や金を貸してくれる友達を罵倒する、などワイルドな逸話をたくさん残しています。
そんな啄木も新年を迎えて、新しい自分になりたくなったのでしょうか。この短歌からはそうした前向きな気持ちを感じます。ただ、春分の日からいきなり温かくなって春になるわけではないように、人はそう急に変われるものではありません。啄木の生活が改まることはついぞなかったようです。
ただ、実は私も同じです。自堕落な自分を改めようと大きな目標を立てても大抵は予定通りに行きません。昔はそれなりに落ち込んだりもしましたが、今ではちょっとずつやれることから手を付けて、例えば冬がいつの間にか春になるように、気が付いたら変わっている、そうしたやり方が性に合っていると気がつきました。急には変われないけれど、自分のペースでそれなりに。今年もそんな感じで頑張ろうと思います。
ただ、政治は待ったなしです。「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり」、啄木のこの歌を身近に感じる方はいま珍しくありません。「ぢっと手を見る」方が一人でも少なくなるようにまぶち事務所は今年も活動して参ります。 (シズ)