三が日を終えて
あっという間に、今日で正月が終わる。もう頭は切り替えて、役所モードに戻さねば。
29日からの6日間で、挨拶回りなど地元活動に戻り久々にリフレッシュした。やはり、人々の生活を肌で感じなければ世の中のことなどおこがましくて語れない。ましてや、「政治家」としてなど...。
年末のスーパーで、割引シールが張られたばかりのパックを定めつ眺めつ手に取る初老の男性に声をかけられた。「アレーッ、買い物されるんですか?」「アッ、ハイ。仕事終わったので今、帰りですけど...。」としどろもどろの照れ笑い。
横からヒロコが、「今年もお世話になりました。どうぞよいお年を!」とペコリと頭を下げる。レジで「アンタ、ちゃんとまともなご挨拶しなさいよー!」と小突かれる。イヤー、だってさー、突然でビックリしてさー...とブツブツ...。
年末、やっとの思いで少しだけ「贅沢しようかな」、と年越しの品々を手に取る人々の暮らしのささやかな喜びに、僕たち政治家が果たして本当に目を向けることができているだろうか。子どもたちへのお年玉を、千円札を折りたたみながらポチ袋に入れつつ、こうして平穏と安逸の中で過ごせることにどれほどの人々が喜びを感じておられるだろうか、と思いを巡らす。
僕たちの、私たち国民の暮らしは、確かに厳しい局面に立っている。しかし、それは決して卑下することではない。こうして、安寧の中で生きることができている現実も認めなければならない。それでも、政治は結果を求められる。現世での利益、あるいは将来に確実に及ぶであろう利益を求められる。それを否定してしまったら、政治を担うことはできない。だから、昨日よりも今日、今日よりも明日、よりよき社会を作るために努力していかなければならないことを肝に銘じている。
しかし、こうして年を重ねながら思うことは、人々が守りたいことがなんであるかということだ。いつも...、ささいな、そして、ささやかな出来事に、人々の心がときめき、打ち震えていることに、僕は喜びを感じている。生きることの意味を、そこにこそ、見出す。
明日から、ほとんどの世の中が動き始める。新年に感じた、人々の想いを、忘れずに取組みたい。