終わらせない道路問題
道路で火がついた感のある今国会審議だったが、13日の道路整備費財源特例法改正案の再議決でなんとなく終局の雰囲気が漂っている。
一般財源化の中身の話が中心になるのはいいことだが、そもそも「必要な道路」とは何か、もっと言えば社会資本整備の根幹となる道路行政を推進する上で鍵となる道路利用についての基本認識を整理しなければならない。そして、どの道路利用の基礎となるのが将来交通需要推計だ。
今国会で、道路行政の根幹となる将来交通需要推計に国会審議が踏み込んだ意義はきわめて大きいと思っている。
2月12日の予算審議で僕が指摘したことの本当の意味は、データが古いの新しいのなどということではない。道路行政が「交通需要推計」で動かされているということと、その推計をいかようにも恣意的に操作できる政官業学のトライアングルならぬスクエアで動かされていることに初めて切り込んだことこそが、最大の意義であった。
とりわけ、政官業の癒着はそのトライアングル構造によって堅固なものとなっていると再三指摘されてきた。しかし、実はトライアングルではなくスクエアとして、学すなわち道路行政を推進する行政マンを排出する「学府」こそが、この道路という社会資本整備の方向性を左右しているという現実がある。科学、工学という分野で行政執行を左右していく構図がこの道路の世界には厳然とあるのだ。いや道路だけではない。河川も同様だ。だから国交省は局あって省なしまでに縦割りが徹底される傾向が強い。
いちおう僕も工学部土木の出身だから、この「学」が「政官業」を動かしている現実というのは先輩や後輩はじめとする仲間からの話も含めて十分にうかがい知ることができる。
先輩後輩や恩師の教授方がひょっとすると悲鳴を上げるようなことが起きるかもしれないが、ハラくくって取り組む。秋の中期計画の見直しまで徹底的に国交省を監視し続ける。
僕の中では、道路問題はぜんぜん終わっていない。これからが、本番だ。