第701号 責任不在の原発再稼働
11日、鹿児島県の川内原発1号機が再稼働し、我が国で約2年間続いていた「原発稼働ゼロ」状態が終わりました。国内の原発が再稼働するのは、福島第一原発事故後に制定された新規制基準の下では初めてです。
◆見えぬ責任の所在
原発の再稼働については、電力会社(事業者)が申請を行い、これについて政府の原子力規制委員会が規制基準に適合しているかを審査し、そこで合格と判断されれば、地元自治体の同意等を経て、電力会社の判断によって再稼働がなされるという流れになっています。
しかし、このような仕組みでは、誰が最終的に原発の安全性に対して責任を持ち、再稼働の判断を行うのかが明確ではありません。実際に、宮沢経産大臣が「事業者が…最終判断をして再稼働に至る」と述べる一方で、田中原子力規制委員会委員長は「規制委員会が再稼働しなければいけない理由は何もない」と述べ、また、九州電力の瓜生社長は「引き続き国の検査に真摯に取り組む」と述べるなど、それぞれが再稼働の判断は自らの責任ではないという押し付け合いをしています。
これでは、国民の間に再稼働についての不安が増すのも当然です。事実、世論調査では過半数の国民が、川内原発の再稼働に反対しています。
本来、原発再稼働については福島第一原発の過酷事故の教訓を踏まえ、その影響の重大性から、政府が政治的な最終判断を行い、併せて国民への説明責任を果たすべきです。
◆原発比率維持への執着
政府は、原発再稼働の最終判断は事業者にあるとして、表面上は「見守る」立場をとっています。しかし、実態を見ると、エネルギーミックスで出された2030年における原発比率20~22%という目標値を達成するため、何としても再稼働を進めようとする意図が垣間見えます。
例えば、原発が立地している自治体への交付金について、経産省は再稼働をするか否かで受け取る交付金の額を差別化する、つまり、再稼働しない場合には交付金を引き下げる方針であると報じられています。
本来であれば、自治体が行う再稼働の判断は避難の問題などの観点から、住民の側に立って行われなければなりませんが、こうした動きが間接的な圧力となって、その判断が歪められることにならないか危惧されます。
◆教訓忘れぬ原発政策を
現在、桜島に大規模噴火の予兆が見られ、鹿児島に立地する川内原発は災害のリスクが高まっています。こうした状況下で、安全性や事故時の対応、住民避難についての説明が不十分なまま再稼働を進めることは、福島第一原発事故の教訓を踏まえて、「原発依存度を可能な限り低減」するとした政府決定に自ら反するものです。
政府は、国民に不安が残る原発再稼働に取り組むのであれば、逃げずに自らが責任をもつことを明らかにしなければなりません。また原発の安全神話から決別する、という原則に立ち返り、山積みの課題に対して責任ある対応、説明を行うことも重要です。
私も質疑等で、原発再稼働の責任の所在や疑問点をただして参ります。(了)
スタッフ日記「つづく夏」
奈良では、お盆明けまでが夏祭りの最盛期です。夏祭りと一言にいっても、自治会主催による盆踊りから団地内の子供祭りまで、その形態は大小さまざまですが、祭ばやしにあわせて夏の夜空に灯がともる光景は、この季節の、一年で最も厳しい暑さを少しばかり忘れさせてくれる特別な空間です。
私の地元、北海道でもこの時期のお祭りは、おじいちゃんから孫までが集う家族の場でもあり、旧友との再会が果たせる夏のイベントでもあります。この日ばかりは、皆がこどもを連れて旧郷に帰り、語らう場所として、昔から変わらない光景が見られます。
しかし、近頃ではなかなか子供たちが集まらず、加えて、高齢化に伴う担い手不足という事情もあって、ひとつの地域だけで祭りを維持・運営していくことが困難な地域も多いようです。そのために若年層の取り込みの企画、たとえばビンゴや景品が当たる抽選ものを用意するなど、どうにか人を呼び込もうと試行錯誤するものの、問題解決にはいたっていない、という話を地域の方から聞く機会も多く、私達の世代がより地域の活動に日頃から積極的に参画していかなければいけないと強く感じました。
今までは楽しむ側だった夏祭りも、ついに担い手として参加する年齢に達しました。私たちの世代が、何を受け継ぎ、守り、子や孫に伝えていくべきなのか、その土地の歴史、そして担い手の汗と努力が刻まれた伝統が今年も、そして来年も後世にわたって受け継がれていくよう、私も奈良市民の一人として参加していきたいです。(特命係長)