第497号 再稼動統一見解

2011年7月16日 (土) ─

 7月13日、総理は会見で「脱・原発依存」を発表しました。「脱・原発依存」自体は、首相補佐官退任以降、私が繰り返し発信してきたことですので、マスコミに対しては歓迎のスタンスであるとお伝えしました。ただ、将来の絵姿は重要ですが、足元の安全の確立が不十分であることも改めて指摘しました。十分に国民の理解を得る努力が、政府にも与党にも求められています。

◆ストレステスト
 7月6日、海江田経産大臣が全原発で欧州で行われているものと同様のストレステストを行い、そこで安全確認ができたものから再稼動をする方針を明らかにし、物議をかもしました。 
ストレステストとは、今ある原発に対して想定以上の地震や、想定を超える津波などの出来事(ストレス)が起きたときにどうなるのかを机上の計算によってシミュレーションし、「どのくらいまで耐えうるか」(余裕度)を数値で示すという試みで、政府は「住民の安心感をより高めるため」としてこの方針を打ち出しました。 

 しかし、原子力保安院は今の原発の安全基準は変えずにテストのみを行うとしており、これでは全く意味がありません。想定外の出来事は、テストを行う人の裁量によりいくらでも変えられますし、物理的な実験ではない為、誤差や老朽化などの要因を排除することもできません。また、余裕度がわかっても、そもそもの基準が変わらなければ安全性が向上するわけはありません。まずは福島第一の検証による反省を客観的に行い、改めるべき基準は改め、それに基づいた必要な安全対策をきちんと行うことが先決です。

◆原発再稼動統一見解 
 11日、政府は原発再稼動に関する統一見解を発表しましたが、私はこれを苦々しい思いで受け止めました。とりわけ、今のあり方を反省せず、「現行法令にのっとり安全性の確認が行われている」「従来以上に慎重に安全性の確認が行われている」と表現された現状認識には疑問を強く持ちます。

 原発の「安全」という言葉について、福島第一の事故前後で全く意味が異なっている事を私達は認識せねばなりません。特に、福島第一の収束が遅れている中、なぜ他の原発を再稼働させるのかという国民の当たり前の疑問を真摯に受け止めることは絶対に必要です。

 反省のない現状認識、更には「国民、住民の十分な理解が得られているとは言い難い」と国民の理解不足を問題点としているこの見解は、依然として国民の認識と大きく異なっていると言えるでしょう。

 また、解決手法についても課題が残ります。見解ではテストの評価関係者は原子力村と称される原子力安全委員会、保安院、事業者の三者です。これで国民が安心するでしょうか。

 それから、再稼働に関して国民が懸念を抱いている点は、当然原発ごとに異なります。全原発一律の評価項目、評価手法とせず、各原発毎の特性を考慮するほか、評価実施項目、手法について、最低でも立地都道府県から評価実施前に意見を聞く必要があります。

 もちろん電力危機への認識も重要です。だからこそ、原子力への信頼回復の為の安全徹底が求められています。形だけの安全評価ではなく、再稼働を控えた各原発ごとの安全上の課題を早急に整理し、国民や地元が納得する形で対策を行うことが求められています。(了)

 

スタッフ日記「猛暑と節電」
 日本の夏が常夏の島のように、こんなに暑くなったのはいつ頃からでしょうか。幼い頃は、水遊びをしてスイカを食べたらなんだか涼しく感じられて、夏が来るのが楽しみでした。しかし、アスファルトに覆われた都会に来てからは、夏はつらい季節というイメージ。東京は年々数度ずつ気温が上昇していて、温暖化傾向にあることを実感します。

 こんな猛暑の真っ只中ですが、政府は電力不足を懸念し、今年は全国的に15%の節電をお願いしています。ただ、節電ってこれまでもずっと言われて続けてきたことで、各メーカーこぞってエコ家電を開発し、2005年にはクールビスという言葉が誕生して、上着とネクタイをとって軽装で勤務しよう!と政府主導で職場での節電を呼びかけてきました。そして今年は、ポロシャツやアロハ、TシャツにジーパンもOKという「超クールビズ」なるものが始まりました。霞が関の官庁街でもアロハ姿がよく見られるようになりました。

 そうは言ってもやっぱり国会内でアロハという訳には行きません。代議士は、夏でも国会では背広にネクタイ着用です。それなのにスゴイ暑がり。「奈良のほうがもっと暑いぞ~」といいながら汗を流して走り回っています。

 今はなんとか電力供給が安定しているようですが、これも企業の節電努力が大きいのだそうです。我々個人ではどれくらいの節電に貢献できるのでしょうか。各家庭、一人ひとりのライフスタイルそのものが問われている夏です。(チョロ)

第497号 再稼動統一見解