梅雨明けを歩く

2006年7月31日 (月) ─

 久しぶりに、地元をテクテク歩く。

 これが、何とも快適。暑い日に照らされながらフーフー言いもって汗を拭き吹き支持者を訪ね歩く野次喜多珍道中。事務所スタッフとあーでもない、こーでもないと言い合いながら歩く奈良のまちは、青臭い稲の匂いも混ざって何とものどかな風景だ。暑さよりも、楽しさが勝る。

 自販機の前に立ち止まってジュースをグビ飲み。幸せな気分に浸る。

 すると、向こうの玄関の中から手招きいただいて、「まぁ、上がってけ!」と、麦茶をご馳走になる。

 ふと訊ねた老夫婦の言葉に、こうして世の中にひっそりと暮らす生活の表面に現れる事象に、大きな問題の本質が潜んでいることに何度も気づかされてきた。

 その日も、また新たな発見に出会う。

 政治の原点は辻立ち。こう語ってきたが、辻立ちはすなわち個人の門口に立ち続けることを意味する。

 今日も、托鉢僧ならぬ辻立ち政治家が門口を訪ね、ひとかけらの言葉をいただいて帰る。延々と続く歩きに、同行したスタッフに「一緒に歩くと楽しいやろ?。」と、聞くと「ワハハハハ!」と笑ってごまかされる。

 おい、嘘でもいいから「楽しい!」って言えるぐらいの知恵つけてくれよ。

梅雨明けを歩く