信託法改正
もうだいぶ日が経ってしまったのだが、先週の水曜日に信託法の抜本改正に関する財務金融委員会と法務委員会の連合審査が行われた。
信託業法の改正が2年前に行われ、遅れて基本法となる信託法が改正されることになるのだが、実に85年ぶりの改正である。
2年前にも、業法改正よりも基本法改正が先だろうと指摘したのだが今回やっとの改正だ。
同期の財金委の古本理事から、「財金代表で、頼んます!」と言われちゃぁ、断れない。まぁ、対決姿勢になるような法案審議ではないと思うが、それでも問題点の指摘だけはしておこうと40分の質疑を行う。
信託の歴史は古い。明治38年に制定された「担保附社債信託法」を最初の信託関連法案として持ったわが国は、事業が先んじて「信託」が広まっていったのである。これは当時、国策として外資獲得の意図の下、信託事業が導入されたのだが、十分な法整備がなされていないがために高利貸しや不動産仲介などおよそ「信託」とは呼べない事業まで「信託」の名を冠する状況が発生してしまった。
大正10年には、「信託業者」が514社、「信託会社」が487社と、まさに乱立状態になったのである。この、信託制度の乱用を是正するために大正11年につくられたのが、「信託法」と「信託業法」であった。
本来なら、一般法である民法と特別法である商法の関係のように、信託法が定められたうえで信託業法が規定されるべきなのだが、そうではなかった歴史がある。
信託とは何ぞや?、との規定を行って業法の改正を行うべきが本筋であることは間違いない。今回も、このことに関しての問題意識を質した。
その上で、今回の法案審議の論点としてさらに指摘したのは「福祉信託」に関してである。
そもそも信託の概念は、英米において発展してきた。それは、未成年者や障害を持つ家族構成員のための信託など、家族の文脈での財産の承継や財産管理、扶養のために展開してきた。こうした法理形成の下、信託がやがて金融・投資、事業、流動化・証券化などの商事目的に活用されるに至る。この変遷を考えると、福祉信託として配偶者や障害を持つ子に自己の死後を考えて弁護士などに信託依頼することが行われることは想像に難くない。
しかし、上記のような場合でも弁護士等が反復継続を行えば「業を行っている」として信託業法の適用の可能性が生まれることになる。すなわち弁護士では担い手になることが許されなくなるのである。福祉信託の充実を図ることが、二年前にも附帯決議となったことを考えると、あまりにも金融庁の杓子定規な対応は目に余る。
山本大臣にも、どうか信託の立法精神にのっとって対応をお願いしたいと訴えた。その前の、自主共済では踏み込んだ発言をいただいたのだが、今回は慎重答弁で終わった。
ウーン、残念!。金融庁の官僚たちに、押さえ込まれたか...、大臣?。