黄門節

2007年4月15日 (日) ─

 仙台空港から佐藤伊達市議さんのお迎えにより陸路で伊達市保原へ。伊達市は昨年に5町が合併して市となったのだがその中で最も大きかったのが保原町で今も市の中心部。そこの市民体育館に500人を超える超満員の聴衆を集めての個人演説会。さすがだなー!、と思いながら会場に駆けつける。

 玄葉光一郎福島県連代表の挨拶の終わりごろ。ちょうど、渡部恒三最高顧問が挨拶を始めるところだった。

 あわてて紹介をいただき席に着く。耳を傾けると、相変わらず黄門節は冴え渡る。

 昨年の佐藤雄平知事の選挙を引き合いに出し、「雄平のときより皆さん気合が入っとる!」と高らかにぶち上げ、「小泉クン」、「安倍クン」の政治について一言述べて、この国の政治に必要なものは何か!?をわかりやすく語る。そして、「水戸黄門」は(テレビ番組として)30年続いているが秘訣はその筋立てにあると指摘。「困っている人や(悪代官に)いじめられている人に手を差し伸べ助けることに、国民が拍手喝采を送るからではねぇかぁ?!」と締めくくる。ウーン、すごい。

 この辺で、もう既に9割の人がその次の一言、一手を待っている。

 すると、やおら右ポケットに手を突っ込み大上段に見栄を切る。「この印籠が目に入らぬか!!!」平成の水戸黄門の登場である。印籠は黄門様でなく助さんが出すものだ、とかのチャチャはもはや無意味。この予定調和の世界こそ、「水戸黄門」なのである。

 葵の御紋ならぬ民主マークの入った、同僚の滋賀選出田島一成代議士の後援会からプレゼントされた漆器の印籠がかざされる。会場、お約束の展開に万雷の拍手、歓喜の嵐である。

 さらに、水戸黄門と言われたときに、「高齢者の希望の星!」と重ねて呼ばれたことにショックを受けたとか、由美かおるが同伴してないのはナゼだと言われてチョットさびしかったとか、恒三節は可愛さも併せ持って聴衆に響き渡った。

 参った。これには、もはやなすすべがないほどに会場が酔いしれる。

 そして、「平成の黄門様」は「次があっから!」と言って、さっさと会場を後にする。そこへ、次の挨拶の紹介に「まぶちすみお」と呼ばれる。

 やりにくいよね...、この後は...、さすがに。そうは言っても、このために奈良から駆けつけた。乾坤一擲の、10分間の演説をする。ちょうど、候補者も到着。

 どうだろ?、それなりに伝わっただろうか?、自問自答しながらも奇をてらわずに素のままの自分でお伝えする以外に方法はないとあらためて思う。

 会場を後にして一路福島へ。明日は、朝から沖縄だ。夏の参院選に向けての準備は、この日々の一歩一歩の積み重ね以外にない。

黄門節