顕在化する意見の対立

2015年7月18日 (土) ─

 週末の地元。東部の近鉄奈良駅周辺の昼は、なかなかに混沌とした状況が展開されていた。

 戦争法案反対を掲げる政党による一斉動員の街頭演説、道を挟んでは憲法9条改正を訴える団体の街頭演説、そのちょっと先の国際ホールでは奈良市遺族会主催の「市民と共に平和を考える集い」における百田尚樹氏による講演もあり、駅で支持者とばったり会って、「この、講演会ってどこかな?」などと聞かれ、道案内したり。

 一方、我々の街宣活動は、西部地区。バッティングもカオスもない場所だった。

 安保法案審議の強行採決から、それぞれの立場の人々が顕在化してきたということだ。それは、むしろ国論を二分するような議論として、真摯に受け止めていただきつつある証左だと思う。双方の主張を、しっかりと受け止め、論考することは大切だ。

 私も、マイクを持って数カ所で訴えを行った。駅前などでは、中には大声を張り上げて反論される方もおられたが、むしろほとんどの方々は感情的議論ではない冷静な分析に基づく、判断をしたいと思っておられる。

 遠巻きに見ている人々の顔に、物事の本質を伝えて欲しいという真摯な欲求を感じた。

 日頃発生する政治イシューは、それぞれがそれぞれの想いで受け止めているが、自分はどう判断するかといったところまで昇華させるエネルギーは生まれてこなかった。しかし、この問題は、さすがに自分なりに考えたいという、個々人の意思を感じる。埋もれてしまっていた意見や想いが、顕在化しつつある。

 だからこそ、違憲だからダメ、だけでなく、現実的な脅威に対する備えをどうするのか?、時には憲法の見直しの是非も含めてどう考えているのかまで、問われる機会だと感じる。もちろん、政治家のみならず、憲法観はそれぞれの立場があっていいと思うが少なくとも、私の立ち位置と主張は示していかなければならないと思う。

 昨日、発表し配布した、「安保を語る」をきちんと読んでくださった方々から、たくさん、声をかけられた。
https://mabuti.netwpsite/wp-content/uploads/2015/07/c9f63e931295884aef2e4826744316ea.pdf

 国民は、今、まさに、政治家が国家をどう考えているのかを見極めようとしている。これからは国民の間でも、より、対立する意見が顕在化してくるだろう。

そのときに、国家統合の仕組みとしての憲法観までを示していかなければならない。決して分断の仕組みにおとしめてはならない。

顕在化する意見の対立