第760号 本質的年金議論をせよ
国会では、年金制度改革法案をめぐって与野党の対立が続いています。年金制度を政争の具にしないために、今必要なのは、本質的な論点は何か、をよく見極めることです。
◆世代間の公平な負担
新ルールでは、物価が上がっている時でも、現役世代の賃金が下がれば、年金支給額が引き下げられる事になります。
ここでキーワードとなるのが「バランス」です。「世代間の支え合い」の仕組みである年金制度にとって、世代間の公平性、つまりバランスは大変重要です。
現役世代の賃金が低下しているのに、年金支給額だけをそのまま据え置くとすれば、財源の問題だけではなく、現役世代の不公平感の原因ともなります。そうした不信が募れば、制度自体の維持に支障をきたす可能性があると考えると、今回の改正法案の目的自体には一理あると言えます。
◆稚拙な議論の進め方
ただ、「進め方」には疑問があります。
制度を変えるならば、政府はまず、多くの方が持つ「年金額が減るかもしれない」という不安に応えるために、受給額がどう変わるかという試算をはっきりと示すべきでした。
ところが、政府はなかなか試算を示しませんでした。客観的データがなければ、十分な法案審議は行えず、国民の不安に向き合うどころではありません。
その後、民進党の求めにより公表された試算では、新たなルールを直近の過去10年間に当てはめると、国民年金では月2千円程度、厚生年金では夫婦2人の標準世帯で月7千円程度支給額が減る一方で、現役世代の将来の支給額は、国民年金では月5千円程度増えるとのことでした。
しかし、この試算には、減少額を少なく見積もったり、逆に今後の運用利回りを高率に設定し、将来世代の受給額を多く見積もっているのではないかという指摘がされています。
◆再分配と最低保障の議論を
国民生活に直結する年金問題は、何より国民の理解を得ながら進めなくてはなりません。
そのために政府は都合の良い数字だけでなく、都合の悪い数字も含め、事実をきちんと示し、制度改正の目的について逃げずに、真摯な説明をする必要があります。
一方で、最低保障機能を考えると、基礎年金の給付水準を一定以上に保つことが必要です。そこで問題となるのが、「賃金の下落」の算定方法です。
非正規雇用が拡大した結果、賃金が下がっているのだとしたら、それにあわせて年金額を引き下げると、低年金者にとって年金が生活の最低保障機能を果たさなくなります。
そのような場合には、高所得者への支給額を引き下げて、低年金者へ再分配するなど、制度そのものを組み直さなくてはなりません。
まず、賃金額減少の実態をきちんと把握すること、そしてそれをもとに年金の最低保障機能を維持するための措置を取ること、今回の法案はこの2点を政府に義務付けるよう修正するべきです。
国民の生活をどのように守るのか。セーフティネットとしての年金の議論は、その観点を忘れてはなりません。(了)
スタッフ日記「皮ごと?」
スーパーの果物売り場に「10月26日は柿の日」という垂れ幕が下がっていました。
恥ずかしながら初耳でした。
気になるのは由来ですが、そこにはこう書いてありました。
“正岡子規が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだ日が10月26日と言われています”
奈良県のホームページにも同じような説明があるところを見ると、なかなか由緒正しい記念日のようです。
法隆寺は小さい時に行ったきりなので、参道の様子などはかすかに覚えている程度ですが、ネットで画像を見る限り、街並みのちょっとレトロな雰囲気と、柿のだいだい色、そしてまあるくぽってりとした形、濃い緑の葉っぱは相性がよさそうです。
ところで、気になることがもうひとつ。
子規はどうやって柿を食べたのでしょう?
道端でチマチマ皮をむいている姿は、かなりヘンです。
となると、皮ごとかぶりつくしかありませんが、柿の丸かじり、あまり見ない光景です。
固くて厚みのある皮で口の中がモソモソしそうです。そもそも、皮は食べても大丈夫なのでしょうか。
ところが調べてみると、食べられるどころか、実よりも皮の方が栄養が豊富らしく、ビックリ。しかも、あの固いヘタの部分も漢方では食されていると知り、二度ビックリです。
どちらも食感はよくないようですが、そういえば、さるかに合戦のサルも、もいだ実をそのまま食べていました。
ちょっと勇気がいりますが、今度皮つきのまま食べてみようかなあ…。でもやめとこうかなあ…。(シズ)