第644号 石原「金目」発言に憤る
石原伸晃環境大臣が福島第一原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐり「最後は金目でしょ」と発言した問題について、19日現在、会期末を前に与野党の攻防が続いています。
◆中間貯蔵施設をめぐる背景
中間貯蔵施設とは福島県内の除染で出る汚染土や高濃度の放射性物質を含む廃棄物を保管し、国が維持管理する施設のことです。福島第一原発周辺の大熊町、双葉町の2町にまたがる約16平方キロメートルに政府が建設をめざしています。
除染で出る汚染土などは、仮置き場→中間貯蔵施設→最終処分という形で処理されますが、要となる中間貯蔵施設が決まらないことで、仮置き場の確保が難しくなり、福島の復興施策を進める大前提となる除染が進まない原因となっています。
中間貯蔵施設は、建設候補地となる2町の復興や住民帰還に影響を及ぼしかねないものであり、これまで2町と国との交渉が行われてきました。生活支援や地域活性化のための交付金の創設や土地の借り上げの検討など、4月末に政府がこれまでより踏み込んだ回答をしたことを受けて、2町は住民説明会開催を受け入れ、今月15日に、全16回の説明会の日程を終えたところでした。ちなみに、石原大臣自身は、この説明会に一度も出席していません。
石原大臣の発言は、最後の説明会の終了翌日、首相官邸で菅官房長官に中間貯蔵施設の今後の予定などを報告した後に飛び出したものであり、被災地の思いや関係者の努力をまさに台無しにするものでした。
◆発言は自民党政治そのもの
困難な選択に直面しているのは、国ではなく住民です。「復興を進めるためにも、施設はやむを得ない。どこかが引き受けなければならず、大熊、双葉の帰宅困難区域のほかにないと思う」との声がある一方で、候補地周辺で、津波で行方不明になった子どもを探し続けている親もおり、「家族とつながっている土地に戻れなくなる」との痛切な声もあります。複雑な思いを抱えつつ、何かヒントを探すために説明会に参加した住民も少なくないはずです。
石原大臣は、16回行われた説明会に一度も出席せず、住民の声を直接聞かないまま、地元との交渉を金で解決すると取られかねない今回の発言をしました。しかも、当初、発言の撤回を問われ、「正式な会見ではない。撤回するとかの話ではない」として否定していました。
住民の思いを無視し、交付金等を使って国の事業の受け入れを迫るやり方は、過去の原発政策をはじめとした旧来の自民党政治そのものです。そのような政治手法によりもたらされた事故によって故郷を奪われた方々に対して、再び、金で解決を図るような発言は、被災者の心を深く傷つけるものであり、強い憤りを感じます。
中間貯蔵施設の建設計画は、この先、自治体・住民との合意形成という最も困難な作業が待っています。このような発言をした大臣が、住民との信頼関係をつくり、事業を前に進められるとは到底考えられません。野党間では、不信任案、問責決議案提出も視野に調整が行われていますが、まずは、石原大臣自らが進退も含めた責任の取り方を考えるべきです。(了)
スタッフ日記「アタチュルク」
まだ風の冷たい頃です。商店街の片隅で異国風の音楽と、鮮やかな彩色に溢れた小さなお店を見つけました。
中に入ると感じのいいトルコ人の青年がにこやかに迎えてくれました。美しい品々に見とれていると、ふと店の奥に掛かっている深い瞳をした男性の白黒写真に目が留まりました。「誰の写真ですか?」不思議に思って尋ねると「昔のトルコの政治家です」という答えが。一体誰だろう?じっと考えていると、随分と昔に学校で習った名前がふと浮かびました。「確か・・アタチュルクという人ですか?」と訊ねると、即座に青年の目が生き生きとして、「そうです!貴方はアタチュルクを知っていますか!感激です」と、とても嬉しそうにオレンジの薫るお茶をご馳走してくれました。「彼がいたから、今私たちは人間らしく自由に生きることが出来ます」と、青年はその功績を力説してくれました。
ムスタファ・ケマル・アタチュルク、20世紀初頭の軍人としてトルコを守るため第一次世界大戦を含む幾多の戦争を闘い抜き、敵にも情深い軍人であったこと。政治家としても、伝統的イスラム社会であったトルコを、一挙に西洋近代的社会へと変革を成し遂げた、まさに偉大な政治家だったそうです。
多くの改革を成し遂げ中東の平和構築に尽力したアタチュルクはその死後に国連から「真の国際平和調停者」として、また「戦争を嫌う偉大なるトルコ政治家」として賛辞されたそうです。
あの青年が入れてくれたオレンジの薫るお茶を思い出す時、商店街の片隅で出合った、偉大な政治家のどこか優しい瞳を思い出します。 (チュー)