第559号 「ゼロ」抜きの閣議決定
19日、政府は「2030年代に原子力発電所の稼働ゼロ」という目標を柱とする「革新的エネルギー・環境戦略」の文書を閣議決定せず、「戦略を踏まえて、不断の検証を行う」とする方針のみを決定しました。「2030年代原発ゼロ」が単なる参考文書扱いとなってしまった事について、各方面から一斉に批判の声が上がっています。
◆米英仏からの圧力?
一連の流れは、米国への配慮が図られたことが要因の1つとして考えられます。また、あくまでも推測ですが、米国への何らかの働きかけが一部の人により行われたことも可能性として否定できません。
原子力政策に関しては昭和31年から始まる原子力に関する「長期計画」、それから平成17年に定められた「原子力政策大綱」がありますが、これまでの閣議決定において具体的内容に言及したことはありません。今日の原子力政策大綱の決定内容についても、「政府は、原子力委員会の「原子力政策大綱」(平成17年10月11日原子力委員会決定)を原子力政策に関する基本方針として尊重し、原子力の研究、開発及び利用を推進することとする。」とあるように、閣議決定ではあくまでも「大綱」を「尊重する」とされてきたに過ぎません。
米国からは、今回は「原発ゼロ」という具体的内容の問題について、閣議決定か法制化という「フォーマリー」な(きちんとした)決定がなされるのか、との確認が行われたと聞いています。今日までの原子力政策の検討過程やその決定について、かつて米国側からこれほどまでに具体的に確認をされたことはないはずです。その事を考えると、米国のけん制の裏には「原発ゼロ」を「フォーマリー」に記すことを認めたくない国内勢力の働きかけがあった可能性も推測されます。
加えて、続けざまにウォレン駐日英国大使やマセ駐日仏大使が官邸を訪れていることも「原発ゼロ」に対する反応の大きさを際立たせています。
おそらくはその中で「英国にある再処理済みの日本の使用済み燃料の返還」の確認は行われた、と見るべきでしょう。そしてこれが「原発ゼロ」に対する大きなプレッシャーとなったことは容易に想像できます。こうした動きを冷静に判断し、今後どのような方向の議論が正しいのかを判断してゆくことが求められます。
◆パンドラの箱
閣議決定をしたのかどうかが問題の本質ではありません。
今回の決定は、こうした諸外国の動きや、核燃料サイクルの実施地となっている青森県との関係などを併せて政府が判断したものと考えるべきであって、「政策の矛盾」に対する批判は、現行の核燃料サイクルそのものが矛盾していることを棚に上げた、不十分な議論に過ぎません。
使用済み核燃料をどうするのか?核廃棄物の最終処分の検討すらなされていない現状をどう考えるのか?という、今日までの原子力政策の矛盾そのものに国民が正面から向き合わなければならない大事な場面が今後展開することになると思います。
ある意味、ようやくパンドラの箱を開けたといっても過言ではありません。 (了)
スタッフ日記「頭を垂れる稲穂のように」
今年は本当にいつまでも暑く、また、突然の雷雨など不安定な天候も続いています。それでも、9月に入ってスーパーにも秋の味覚が出そろうなど、日々の生活の中に秋を感じることが増えてきました。
そういえば、新米の出回るのも秋です。青々としていた田んぼの稲穂もいつの間にか黄金色になり、日ごとに頭を垂れ、収穫の時期を今か今かと待っているようです。
私は、収穫前の稲穂を見るたび、馬淵のある言葉を思い出します。
あれは、2003年の初当選した時の選挙期間中、街宣車に乗り、奈良市の山間を廻っている時です。山間に入ると空気も景色も一変します。街宣車の中も今までの喧噪が柔らかな空気に包まれ、一瞬「選挙」を忘れるくらい穏やかな雰囲気になりました。そんな時、車を停めて、馬淵がマイクを持ち、大きく深呼吸をして語りだしました。
「この美しい田園の風景を孫やひ孫の世代にまで残したい。頭を垂れる稲穂を見ていて、自分もおごることなく、この稲穂のように雨や風に打たれても、これから先どんな困難に出会ったとしても倒れることなく前へ前へと歩んでいきます」
静かな山間に響く馬淵の声が今も私の胸の奥深くに新鮮に残っています。あの時の里山の風景は今年も変わることなくそこに暮らす人々が守り続けています。
あれから9年の月日が過ぎ、いまも馬淵は議員として活動させていただいています。頭を垂れる稲穂の如く、これから先もひたむきに前に進むその姿は変わらないと信じています。(エバ)