第499号 代表選出馬報道

2011年7月30日 (土) ─

 7月28日(木)、朝日新聞朝刊の1面に「馬淵氏、民主代表選出馬へ」という見出しの記事が掲載されました。ここのところ毎日のように「ポスト菅」についてのニュースが取りざたされ、私自身もその末端に名前を挙げられております。それ自体については光栄だとも思いますが、やや過熱気味の報道に違和感を憶える部分も少なくありません。

 例えば、首相補佐官を退任した直後、私は社会人の当然の礼儀として、政府関係者、党幹部や幹部経験者の皆さんに挨拶回りに伺いました。その一環として小沢一郎元代表のもとにも伺いましたが、報道ではここの部分のみが取り上げられ、小沢元代表へ接近し、代表選への支援をお願いしたかのように報じられてしまいました。国民の目を引くために、本来関連がないようなものまで全て政局がらみで語るようなメディアのあり方には大いに疑問を感じます。
 
◆「菅おろし」でよいのか?
 私は常々、「政治家の出処進退は自らが判断すべきもの」ということを繰り返し口にしてきました。菅総理に対してもその考えに変わりはありません。よく、総理の退陣時期について質問を受けることがありますが、「辞める」と言った瞬間がまさに退陣の時期なのだと思っています。

 日本は現在、歴史上でもまれに見る国難のときと言えるでしょう。3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故は、被災地や被災者の皆さんに大きな打撃を与えただけではなく、もともと低迷していた日本の景気にも大きな傷跡を残し、今に至っています。 初動から現在まで、政府の対応がスムーズに行っていない点については政権与党の一員として真摯に受け止め、反省しなければなりません。しかしながら、このような国難のときに、「やめろやめろ」と大合唱をして菅総理を降ろすことにエネルギーを注ぐことが果たして正しいのでしょうか?

 私の経験からすると、組織というのはトップが「辞める」と言った瞬間に全ての機能がストップしてしまいます。辞めてゆく人にその組織の未来を語ることは出来ないからです。現在、総理が退陣を明言していない以上、いたずらに対立を煽(あお)り、政治空白を作ることが国全体や国民のためになるとは思えません。

 むしろ、国民の前でしっかりとした政策議論を行い、覚悟を持って一つでも多くの物事を進めてゆくことが、私たち国民から付託を受けた国会議員には何より求められているのではないでしょうか。

◆若い世代に引き継ぐ、の意味 
 6月2日の民主党代議士会において、「一定のめどがついた段階で若い世代に責任を引き継ぐ」との総理の発言がありました。これは、鳩山前総理、菅総理という、いわば民主党の「創業者」から、私たち民主党で活動をしてきた政治家に対するメッセージだと思っています。では、責任とは何でしょうか?私はこれを「組織のマネジメントを理解し、理念を持ったこの国の代表を作り、支えてゆくこと」だと解釈しています。私たち民主党の国会議員一人ひとりが傍観者ではなく、自らのこととして受け止め、総理を降ろすことではなく、責任を持って次のリーダーを選んでゆかなくてはなりません。(了)

 

スタッフ日記「夢をかなえる」
 先日「栄光へのタッチダウン」という映画を観ました。

 物語はフィラデルフィアを舞台に、不安定な臨時雇いやバーテンダーでその日暮らしを続ける主人公ビンスが、友人とドロドロになりながら草アメリカンフットボールをしているシーンから始まりますが、ある日、彼に愛想を尽かした妻は「あなたは能無しの負け犬よ」と書置きを残して彼のもとを去ってしまいます。

 そんな失意の中、高校で数年のアメフト経験しかない中年になったビンスに、彼の実力を認める仲間達が地元プロチームの入団テストを受けるよう勧めます。そして無数の挑戦者の中からなんとたった一人ビンスが合格します。ここから彼の挑戦が始まります。アメリカのプロフットボールは、選手の半数以上がシーズン直前には解雇されるという凄まじい競争の世界。ビンスは挫折を繰り返しながらも懸命なプレーでシーズンまで勝ち残り、初めて出場したゲームでは大失敗をしますが、あきらめずに努力する彼は次第に周囲から認められ、やがて中心選手になってゆきます。

 この物語は実話だそうです。アメリカンドリームというと単に経済的に大成功をした大金持ちの物語をイメージしがちですが、本当にアメリカ人が大好きなアメリカンドリームは、とてもありえないと思うようなことを、純粋な情熱で実現していく事なのです。そしてそんな彼らが大切にする物語に共通している事は、どんな逆境においても夢をかなえる為にその努力を続ける事です。夢を叶えるためにひたすら努力を続ける。僕もそうあるように頑張ります! (チュウ)

第499号 代表選出馬報道