枠を破る
京都の大原三千院門跡、堀沢祖門門主に、ご報告に上がった。
今週、月曜日の午後2時過ぎに樽床伸二代議士より、衆議院事務総長へ議員辞職願を提出したとの連絡を頂いた。
これにて、来週28日の通常国会召集冒頭の本会議で樽床代議士の議員辞職が正式に受理となり、私の近畿比例ブロックでの繰り上げ当選が確定するとのことであった。樽床代議士におかれては、補選の必勝を心から願っている。
そして、このような出来事にただただ、驚きでもあるが、天命と受け止めて、精進して参りたいと思っている。
この一年二ヶ月、落選から、果たして私に再び国政で働く使命はあるのかとの自問自答の日々でもあった。もはや役割は終わったのではないか!?との思いが何度も頭をよぎった。
そんなときに、私が出会わせていただき、そして教えをいただけたのが、三千院門跡の堀澤祖門門主だった。そして、堀沢祖門門主から、「再誕。」という言葉を頂いた。
人は自らは生まれ出てくることはできない。しかし、自らが自らに向き合い、自分の使命は何なのか?、自分とはどういう人間なのか?、果たしてこの世に生まれて、この世で果たす使命はあるのか?それは何なのか?と徹底して自らに問いかけ見つめ直し、見性(けんしょう=さとり)するまで追い求める。
それができたときに、人は自らを、自らで生み直すことができる。 それを「再誕。」という。
この、重い言葉で、私は今日まで、無所属の活動を続け、浪人の仲間を募り集い、そしてお互いに切磋琢磨し、鼓舞し続けることができた。
堀沢祖門門主には、「再誕。」というこの言葉で、私は今日まで、生きる目的を持ち続けることができました!。と心から感謝の言葉をお伝えしてきた。
うんうん、と頷いておられる、厳しくもそして優しい90歳にならんとする門主のまなざしに、この一年二ヶ月の意味をあらためて感じた。
答えを求めても手に入らないという苦しみを「求不得苦ぐふとくく」というそうだ。答えが得られないのだから、何も解決しないように思えるかもしれないが、この苦しみの時を過ごすことこそが、実は様々な解決へ導きとなるという。
自らの使命は、野党をまとめるのみならず、政界再編。 まさに「求不得苦」かもしれないが、もはや、何も失うものはない。 議席を得たからといって、これで、私の「再誕。」は完結しない。恐れずに、一歩一歩、歩み出す。
堀沢祖門門主からは、こうした取り組み一切は、最終的には「枠を破る」ということなのだと、お示しいただけた。
枠を破って、いきたい。
真の「再誕。」を求めて。