子どもたちとの祈り

2008年8月8日 (金) ─

 「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に出席する。毎年夫婦で参列しているのだが、今年は部活や塾やとあるそれぞれの予定を調整してもらってうちの子どもたちを連れて行った。

 なんせ交通費がかかるので奈良から車で移動。前日の夕方に着いて、例年は市内のさまざまなイベントに出席していたが今年は静かに祈りの夏を送りたいと思い家族を連れて平和公園を訪れる。

 何度訪れても、このときの平和公園は違う空気が支配しているとしか言いようのないものを感じる。

 僕自身は現実主義に近い保守派と認識しているつもりだが、やはりこの惨禍を忘れてはならないという思いは強い。

 陸軍士官学校最期の61期生だった父が常々僕に語った「士(さむらい)の心」を受け止めながらも、彼が言わんとするのは最後は「国民の平和を希求する心」に他ならないことを幼いころから感じていた。

 争いを好まない父の姿は、時には僕にとって弱々しいものに映ったこともあった。しかし逆に彼が軍人であるがゆえに猛々しさと真の勇気の違い、争いを軽々に行わない「心の平静」さの強さというものを息子の僕に教えようとしていたのだと、今になって感じる。

 この国の未来と守るべきをものを語るときに、僕はヒロシマをはじめとする歴史の実態を身をもって知る努力を必要だと感じる。

 秋葉広島市長の平和宣言には、「今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。」と、オバマ政権を予感させる一節が盛り込まれた。アメリカの行く末はまだまだ不透明な部分はあるが、ヒロシマの発するメッセージの重さを、子どもたち、そしてこの国の未来を担う方々にぜひともしっかりと受け止めていただきたいと願う。

 今年の夏も格別に暑い。暑さの影響がどれほどかは不明だが、原爆死没者名簿にも新たに5302名が記載された。25万人に上る犠牲者の方々への追悼の祈りは、新たな未来への一歩となると信じている。

 僕は、議員であることとはまったく関係なく、ヒロシマとはずっと向き合っていきたいと思っている。

子どもたちとの祈り