住生活基本法
戦後の住宅難に直面して創設された法律、住宅金融公庫法、公営住宅法、日本住宅公団法の3本柱が長らくわが国の住宅政策の根幹をなしていた。加えて住宅建設計画法によって、今日まで8期40年にわたる住宅計画が策定されてきたのだが、「足らずの補給」から、「量から質へ」に転換され、さらに「質の水準確保」へと時代の変化に合わせて計画の本旨が変遷していく。しかしながら、それでも、国がいかなる理念を持って国民に住宅を提供していくかの基本的考えはあいまいなままであった。
そして、ようやく提出されたのが「住生活基本法」である。懸案の住宅政策の基本理念を指し示すものであるのだが、これが実に、過去野党から公明党8回、社会党6回、その他1回と何度も提出されては廃案となってきたしろものなのである。
なぜに、政府はこれほどまでに基本法策定を拒否してきたのか?。考えるに、この法案の質疑の主旨はこの一点に尽きると言ってよい。
今日は、国交委で1時間5分の時間で、この点を丁寧に質疑させていただいた。
面白いのは、当時野党の公明党が、憲法25条に基づく権利として「住宅権」を保障すべきと主張し、それに対して政府答申は検討の俎上に乗せながらも、結局は「国民のコンセンサスが得られると判断するには早過ぎる」との結論で、これを検討対象からはずしたことである。それは、昭和55年の答申と56年の中曽根総理の本会議答弁から明らかであった。
公明党が主張する「住宅権」を認めない大方針が決定した昭和55〜56年に、その結論を持って基本法制定に政府が動かなかった理由は何なのか?。この段階で、基本計画は提出されてしかるべきなのに、なぜ今日までずれこんでしまったのか?!。
私なりの解釈はあるのだが、公明党の北側大臣からは十分な答弁はいただけなかった。いずれ、皆さんにご判断いただくためにも私なりの解釈はお伝えしたいと思うのだが、このようにこの基本法は何とも摩訶不思議な登場の仕方をしていると感じるのであった。
もちろん対立法案ではないと思うが、何となく変だな?、と思うことには注意を払っておかねばならぬ。
われわれが気がつかない間に、霞ヶ関が、スッと忍ばせている時限装置や仕掛けがあるかもしれない。
もちろん、国民の為を思ってと信じたいのだが、最近、どーもなー...、いう感じを拭い去れないまま、久々の国交委での質疑を終えたのであった。