三者懇
次女(第二子・中三)の先生と親子の三者懇談会に、隙間をぬって出席する。
次女は、この春高校受験となる。いよいよ、私学と公立校の決定のタイミングでもある。
どうも、勉強も苦手のようだし、ある意味一生懸命物事に取り組むことを苦手と感じてしまっているような子でもある。親としても非常に難しいものを感じながらも、本人はいたって気楽なのだが、かと言って次女ゆえか、長女ほど唯我独尊ではない。しかし、かえってその分、親としては心配も募る。
先生は、私が訪れるということでたいそう、気をつかっておられたようだった。しかし、私の言葉としてはひとつしかない。
娘の責任において判断するしかないと。
親は先に死ぬ。何もしてやれない。唯一、親の存命中にその庇護の下、「負の体験」をさせてやることができるぐらいである。
しかし、それは親の慈愛に満ちた家庭の中での出来事でしかない。本当の試練は、一人で生きていくときに訪れるのである。
先生にはそのことを、お伝えした。
どこの学校に行こうが、本人しだい。やめてしまえば何にもならない。
すべては、本人がどれほど試練に立ち向かえるかである。しかしそれも、今できなくても長い人生にとってそれほど大きなことではないかもしれない。しかし、多くの同世代の仲間ができることを避けて生きていくことのハンデを背負わなければならないことは覚悟する必要がある。
そんなことを、先生と娘に伝えたつもりである。
果たして、娘がどう感じるか。
ある意味、大きな冒険もかまわないと思っている父に、難しい年頃の娘は、心を開いて自分の人生を語ることができるのだろうか。彼女の、初めての瀬戸際である。
試練を受け止めて欲しい娘に、「やっぱり男は堂々人生だよ!。」と言うと、口をとんがらせて、「男じゃないもん!。」と正確なご指摘。
うん、お前、冷静だな。