4度目の代表辞任

2006年4月1日 (土) ─

 昨日、前原代表が辞任を表明された。

 政治家の出処進退は、選挙で選ばれた選良として自らが決すべき事柄である。

 自身の代表辞任によってのみ国民の信頼を取り戻せる可能性があると判断され、民主党の再生を誓って党を率いてきたことの責任を全うされようとしてのことだと思う。ご判断を重く受け止めたい。

 しかし、国民の皆さんにはまずこのような事態になるに及んだ数々の出来事とその処理について、多くのご批判をいただいてきた。あらためて代表辞任という節目において、心からお詫びを申し上げる。

 そして、国民への信頼を損ねたことへの大いなる反省と再生への道へ歩みだす固い決意を持ちつつ、前原代表の判断に対しては、ただただ、ご苦労様とだけ言葉を伝えたい。

 国民の声は理解しているつもりである。そして、前原さん自身今日まで最も敏感に感じておられたと思う。本当に厳しい状況での党運営だったと思うが、この事態の後さらに正念場、がんばっていきたい。

 さらに、永田さんが辞職を決意された。これも私自身、国民の皆様の声は十二分に理解しているつもりである。ここは、議員辞職という重い決断を受け止めたい。

 政治家の出処進退という意味では、これ以上の決断はない。もはや、私ごときが言葉を発するものではない。

 しかし、代表の任期満了における退任ではない責任取っての「辞任」は私が政治の世界に入って7年目となるが、すでに4度目である。

 一度たりとも、任期満了の退任という場面はなかった。すべて、責任取っての辞任。

 心苦しい。

 2000年の選挙を落選した後の浪人中、2002年に鳩山さんが代表に就かれてわずか3ヶ月で党の運営で混迷を極めたという理由で辞任された。正直、「勘弁してくれよ、頼むぜ!」という想いしかなかった。

 そして、急遽代表選で選ばれた菅代表。しかし、菅代表も2003年の総選挙勝利を受けてのその後の運営で急速に求心力を失い、さらに例の年金未納問題が致命傷となり、これも党の信頼を失墜させたとして辞任。当時、初当選で議員となった立場ながら、愕然とした。

 さらに、小沢さんの代表就任辞退を受けて、その後に就かれた岡田代表も昨年の総選挙の惨敗の責任を取って辞任。役員室の一員として岡田さんを支えてきただけに忸怩たる想いがあった。昨年、緊急の代表選挙で選ばれた前原代表は、初めてニュージェネレーションに政権運営の機会が移ったと喜びもしたし、代表選に際しては推薦人に名を連ねた一員として全力で支える気概だった。しかし、その前原さんも、メール問題で辞任。

 私が、選挙に出て以来でも、実に4度目の代表辞任である。この7年間、誰一人、任期を全うできないという事実は、野党運営の困難さを如実に物語っているとしか言いようがない。

 なんとも言いがたい想いが、こみ上げる。しかし、こんなときにこそ慎重にかつブレずに発信し続けなければならないと思う。

 4度目の代表辞任は、権力に抗して、この国の未来を築いていくことの困難さを改めて私自身に刻むことになった。

 しかし歴史に記されているように、常に権力に立ち向かうときの壁の厚さと高さは筆舌に尽くしがたいものであった。何世代もの人々が、それこそ累々たる屍を乗り越えて成し遂げてきた「偉業」こそ「政権交代」なのである。

 選挙を重ねればやがて訪れるもの、などでは決してない。そのことを改めて肝に銘じ、取り組んでいくしかない。

4度目の代表辞任