麻生批判への戸惑い

2008年11月23日 (日) ─

 県連代表として、来年の県連予算と方針案を準備する。本来ならもうとっくに選挙が終わっていると思っていたので、活動方針も政権獲得後の県連のかかわり方を考えなければと漠然と考えていた。またもや来年も選挙中心の活動方針とならざるを得ない。

 また来年中には選挙があるということは、やっぱり政権獲得後の県連運営というものも考えなければならないので政権政党としての位置づけも盛り込む。地方議員の役割は重くなっていく。

 地元を歩いていても、麻生政権への批判は強い。おそらく、小泉総理以降の安倍、福田と続いてきた中でももっとも大きい批判を一身に受けているのではないだろうか。

 麻生さんの総理としての資質に帰する話だけではなく、小泉マジックからの経過年数によるところも大きいのだろう。安倍、福田と小泉人気のかげりを徐々に受けて、そして麻生総理は結果の負の遺産だけが残ったところに登場ということで一番強い逆風を受けることになった。

 結果責任を後任がすべて負わされるのは気の毒な気もするが、それが政権政党の責任でもある。ブッシュ失政の全責任をマケインが負ったと同じように、麻生総理もその覚悟がなければ総理を担う資格はない。

 同じことをするにしても、主体が大きく変われば若干の修正が劇的な「変化」に見えることはよく知られたことだ。人は、「政策」よりもそれも実行しようとする「人=人格・識見」に価値を見出す。人が変った瞬間がチャンスだったのにと与党のことながら思う。

 だからこそ政治家は政策の前に、価値観を示さなければならない。自らの人間を晒(さら)さなければならない。

 麻生さんも、総裁選でもっと本音本心を、素の自分を出せば良かった。総理が博学である必要もないし、すべてのことをわかっている必要もない。多少の間違いもする。

 僕は麻生さん個人のことはほとんど知らないが、例えば「自分は勉強はあまり得意じゃなかったし金持ち育ちのボンボンで世間知らずと言われるかもしれないけれど、負けるとわかっている戦いでも恐れず逃げずに来た、そして友達との約束だけは絶対守ってきた」などと誰にでもわかる言葉で自身を表すことはできなかったのだろうか。

 「経験と実績、加えて経済がわかるから適任」というのは自分で語ることではないだろう。すでに総理になることを前提で語っている姿は、心に響くものが少なかった。

 もちろん、これは麻生さんだけではなくすべての政治家に当てはまる話であり、自らにも問いたださなければならないと思う。

 西大寺駅北口で演説中、多くの道行く人から声かけられる。ありがたい応援の言葉。と、同時に厳しい麻生さんへの叱責の言葉が胸に突き刺さる。

 一瞬、一国の総理がこのように市井(しせい)で見下されて語られていることに、同じ国会議員として戸惑いを感じる。

 総理自らがまいた種かもしれないが、人に対する尊厳というものを最低限守ろうとする意識が国民からどんどんと消えうせていく気配にゾッとしてしまう僕は、まだまだ甘いとお叱りを受けてしまうのだろうか。

麻生批判への戸惑い