飽きられたドラマ

2008年9月26日 (金) ─

 麻生内閣の支持率が出揃った。

朝日48.0%
読売49.5%
毎日45.0%
産経44.6%
日経53.0%
共同48.6%

 おそらく、麻生総理本人が一番期待はずれだったのではないか。思ったほど高くない評価に、ちょっと戸惑いを感じているのではないか。

 なぜ、支持率が一気に上らなかったかと言えば、閣僚の顔ぶれがどうこうということよりも2年間に3度も総理が交代しては閣僚が発表されて「○○内閣」などと評論家たちがネーミングする場面を見せられて、もういい加減、厭世観というものが国民に広がっているのだと思う。「結局、何も変わっていない」ことへの国民の諦観があるのではないか。

 小泉総理の熱狂のあと、安倍内閣が改造含めて2度の組閣を行い、その後の福田内閣でも改造含めて2度組閣を行った。

 閣僚名簿が発表される度に、大臣になれた者なり損ねた者の悲喜交々(ひきこもごも)をほほえましく見る、などという余裕はもはや国民の中にはない。

 2年間で4回も、「新閣僚は○○さんで、再任は○○さん、こちらは横滑りで、論功行賞の意味合いもあるでしょう」などという解説を聞かされても、「あんたたち、自分のことばかりか...」との冷めた声しか返しようがない。これが国民の声であり、顔ぶれの変わらない「組閣」というドラマに飽きた国民の偽らざる心情なのである。

 断言する。もはや、与党のたらいまわし新内閣などで国民の意識を向けさせることなどできない。総選挙に向けた国民の厭世観の広がりは何を意味するかを、よく考えなければならない。

 政治に対する不信がかつてないほどに高まっていることを肝に銘ずべきだ。これは、与党だけではなくわれわれ民主党に対しても手放しで国民が賞賛を送るわけではないことを承知しなければいけないことを意味する。

 しかし、ひとつだけ国民が経験していない「ドラマ」として、選挙による政権交代、がある。

 この一点について、民主党には分がある。しかし、絵空事のドラマだけではもはや許されない。ちゃんと、現実に落とし込まれるリアリティが求められる。それが、「生活をつくりあげる」政策だ。

 今日も、選挙向けの政策の詰めを行う。あまり時間がないが、僕の中では収斂しだしている。

 三つか...、いや二つでもいいか...。

飽きられたドラマ