選挙後初出席の県連幹事会

2005年11月14日 (月) ─

 県連幹事会が開かれた。選挙後、初の出席となる。

 もちろん選挙直後に一度開かれてはいるのだが、郵政民営化法案の対案作りで週末も東京に残ることになり、失礼した経緯があった。

 その意味で、選挙後、自分としては初の幹事会である。

 中村会長が、先の幹事会で「辞意」を表明されたため、役員選考委員会が設置され、後任役員人事が焦点となっている経緯がある。マスコミからはいろいろ言われているが、何も打診もないし、一言もそのことには自分自身触れているわけではないので、静観の構えだが、状況はそうでもないようでもある。

 いきなり、A社の記者から、「もう決定ですか?。」と幹事会会場に向かうところで聞かれ、「エッ、何が!。」とゴーメー親父化してしまった(わかんないよネ!)。

 やっぱり、いろいろ憶測流れてんだなぁ、と思いながら幹事会に出席。

 前川参議院議員が、県南での森林シンポジウム出席のため欠席ということで、私から冒頭、国会での様子を伝える。

 前原体制の状況と、党中央での議員の体制評価などなどを伝え、まだまだ発展途上かもしれないが、ぜひとも前原体制を全力で支えていきたいとお願いする。

 県連幹事の皆さんには、それなりに伝わったか。

 そして、もうひとつ大事なこと。大惨敗の後の危機的な状況での、前原体制スタートである。

 県連会長のテッチャンにはつらく聞こえるかもしれない、と申し訳ない気持ちながらも、県連幹事の皆さんにはぜひとも認識して欲しいとの思いから訴えた。

 確かに、民主党惨敗というが奈良県連では、現実には現職が一人(テッチャン)減っただけである。しかし、党本部では、実に180名中の仲間の80名が議席を失ったのである。この「事」の重さの受け止め方の違いは当然あると思う。しかし、現実に全党的には44%を失った意味をよく理解してもらわねばならない。

 だから、その上で、前原代表が解党的な出直しを図ろうとしていることを考慮すれば、県連単位でも同様の苦しみを乗り越えなければならないのである。

 このことを、幹事の一人ひとりの皆さんにお知り置きいただきたいと僭越ながら、言葉を重ねた。

 果たして、県連役員の行方は、私のあずかり知らない場面で動いていくかもしれないが、責任ある言動を行っていきたいと切に思うしだいである。、

選挙後初出席の県連幹事会