謝罪会見

2006年2月28日 (火) ─

 メール問題についての、永田代議士の謝罪会見が開かれた。そして、今しがた野田国対委員長の辞任が役員会で了承されたとの報告があった。

 結局このメール問題は、「情報の信憑性」を明らかにすることができずに、「あいまいな情報」によって攻撃を行った永田代議士の謝罪の結末となった。加えて、野田国対委員長が、質疑方針の最終決済を行う責任者として辞任を決意された。

 残念だが、「情報の信頼性」を明らかにできなかったということでは、国民の皆様の疑問にお答えできない。

 同じ党に属するものとして、今日までの国会の混迷に対して国民の皆さんに心からお詫びを申し上げます。まことに申し訳ありませんでした。

 また、自民党武部幹事長ならびに私人であるご次男に対しても、深くお詫び申し上げます。

 しかし、本当に残念だったのは党の危機管理体制だった。もっと、早い結論を出せなかったのかと悔やまれてならない。

 とりわけ、危機管理の鉄則である「迅速な対応」が図られなかったことは、永田町という狭い「ムラ」での、お互いの顔が見える世界の中で、旧来の政治体質に染まった人たちの判断とそしりを受けても仕方ないだろう。

 マスコミからの大変な取材圧力を受け、当然ながらに耐震偽装の「馬淵の質問」との対比が取りざたされる中、自身の発言が思わぬ方向に向けられることを憂慮し、今日まで発言は極力抑えてきた。

 しかし、本日、永田代議士ならびに執行部の謝罪ということで、一応の決着をみた以上、党の対応に対しては私なりの考えをお伝えしようと思ったところである。

 一方、「野党が不十分な証拠ででも質問できなかったら、国会での質疑などできない」、という意見もたびたび見られたが、それにはくみしない。

 百パーセント信頼に足りうる情報だけで、疑惑を追及できる場面などはそうそうあり得ない。むしろ、「疑わしき」をもって、質していくことこそ質疑なのではないか。それこそ、質問方法によっていかようにも対応できる。私自身は、情報収集には徹底的に現場での一次情報にこだわってきたが、そうした姿勢も今後はさらに問われると思うが、真摯に取り組んでいく。

 これからも、質問については政府に対して厳しい目を向け続けていくのは当然である。

 深い反省のもと、体制の立て直しに努力する。

謝罪会見