若人に語る

2007年1月5日 (金) ─

 奈良も国会も事務所は平常状態に入り、奈良では新年のあいさつ回りやら後援会の方々への連絡準備やらであわただしい。国会事務所も、通常国会の予算委員会に向けての下調べなどでフル回転状態。

 やっぱり、新年明けるとあっという間にいつもの状態に戻る。

 一方、子どもたちはまだ冬休みということで家でゴロゴロしがちだが、そろそろ3学期の準備をしなさい!、と発破がかかる。

 やはり、新年はあわただしい。

 そんな中、今日も朝立ちと称する駅頭での演説を朝からやってると記者さんが駆けつけている。

 どーしたの?、と聞くと知事選に向けての大事な発表が今日当たりあると聞いてとのこと。ハァ?。いったい誰やねん!?、そんなガセネタ流してんのんは???。記者さんには、ご迷惑なことだったと詫びてしばし話をする。

 いずれにしても、とにかく県連としては候補者擁立も含めて全力で取り組んでいる、とのコメントは変わらない。

 一方、自民党筋からは参院選での候補者として最有力といわれていた若手官僚から今日正式にお断りの報が入った、との連絡が入る。

 選挙状況というのは、刻一刻と変化しかつ混沌とするものである。もろもろを抱えながら、事務所に一瞬戻って、学生さんとの懇談。

 政治のみならず社会のあり方に興味を持っていただける若い方が増えることを心から望む。そんな学生さんに、今最も関心のあることはという話の中で、「マス=大衆、あるいは国民」をどう捉えるかということを語った。今、私自身、もっとも興味を持っていることでもある。

 政治家の言葉は、大衆を大きく動かす力を持っている。

 しかし、大衆の行動はマスメディアを通じてしか個人に伝わらない場合が多い。そして、そのマスメディアはあくまで「結果としての行動」しか伝えない。あるいは、「結果としての行動」に対しての要因の分析は、平面的に捉えられがちでもある。

 こうした報道に接したときに、政治家たちは大衆の行動に対して表面的な要因をそのまま受け止めるのではなく、「個の要因」を鋭く感じ取るチカラが求められていることに気がつかねばならない。

 しかし、残念ながら多くの政治家たちはこのことに腐心することなく、一方的に垂れ流されている「要因」をあげつらうことしかしない。あるいはその対症療法を考えるに過ぎない。

 このことに、今、私は大きな危惧を抱く。

 大衆が右に動いたとき、それをマスメディアは「大衆は右に動いた」と結果を報道し、「右に動く理由」を個を見ずにもっともらしく語る。そして、それはあくまで大きな集団としてのくくりの中で語られる。しかし、右に動いた人たちの動機は本当に何だったのだろうか?、個々の理由は何だったのだろうか?。

 中には、日差しがまぶしいと思って動いた人もいただろう。足元の草むらから虫が飛び出して動いた人もいたかもしれない。目立つ、大きな声の人が「アッ!」と指差して走り出したのを見て思わず一緒に動いてしまった人もいただろう。立ち上がったときに、ふらついて右によろけてしまった人もいるかもしれない。そして、実はその地面が傾いているからおのずと右へと動いてしまう条件となっていたのかもしれない。

 それぞれに個々の要因があり、結果として「右に動いた」行動はあるけれど、その個別の中の要因に潜む「本質」を見極めることを失ってはならない。

 第四の権力と言われ、あるいは最大の権力と言われるマスメディアに対して、今こそ政治家は、そのチカラをもって「こと」の本質を、「個」を見極めることによって把握し、ぶれることなく発信し続けなければならない。

 衆愚政治ならぬ偉大なる大衆政治、と言う言葉が適当かどうかはわからないが、大衆=国民を理解する政治家でありたいと願う。

 こんなことを小一時間ばかり話すと、不思議に再度元気がわいてきて、学生さんにお礼を言って事務所を飛び出した。

 政治家のエネルギーの源は、発信する場だと痛感する。

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