総理大臣補佐官退任

2011年7月1日 (金) ─

 27日、「補佐官を免ずる」の辞令が発令されました。94日間の補佐官任務が終了いたしました。

 この間、ご指導ご鞭撻いただいた多くの関係者の皆様にはこの場をお借りして、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

 正直、2日の総理の退陣表明もあり、区切りがあることは承知していたが「プチ改造」による突然の退任となった。

 振り返れば、発災後二週間強の3月26日、突然の官邸からの呼び出しにより急きょ原発事故対応ということでの補佐官就任を要請され、受諾した。大阪から官邸に向かう中、岡田幹事長からも党役員罷免の連絡を受け、相当な覚悟で官邸に向かったことを今もはっきりと覚えている。

 うすうす何を言われるかは、感じてはいた。役員罷免してまでも官邸に呼ぶなどということは、相当な事態が起きている。これは原発に違いない。そう思って新幹線に飛び乗った。そして、もはやそのような「人類の危機」に、傍観者ではいられない!との強い覚悟と決意は持って臨むと決心した。

 官邸入りし、次いで統合本部入りして「原発が危ない!」との政府の認識を、総理、官房長官、海江田大臣、細野補佐官から伝えられ、ハラをくくった。

 原発の収束の大義のために全力を尽くす!と。そして、補佐官という立場上、黒子に徹する!とも。

 以来94日間、できるだけの手立てを打ってきた。道半ばであることについては、ともにチームで取り組んできた皆さんに本当に申し訳ない想いでいっぱいだが、人事は人事だ。受け止めるしかない。具体的には、27日の総理からの電話では補佐官を降りて経済産業副大臣の就任を要請された。すでに報道で、亀井国民新党代表、蓮舫行政刷新担当大臣の補佐官就任が出ていたので、事情はすぐ呑み込めた。

 しかし、お引き受けするわけにはいかなかった。

 二つの理由が僕にはあった。

 一つは、先に述べたように「未曽有の人類の危機に対して傍観者ではいられない」との決意のもと、補佐官となって事態収束にあたってきたのであり、原発事故対応一点が使命だとして取り組んできた。それが、事情があるにせよ、事故対応以外の経済産業省所管の政策を取り仕切る政務三役を受けるわけにはいかない。

 菅政権で閣僚を務めた自分が内閣改造で辞し、二カ月もたたないうちに再び参画するという異例の人事をお受けしたのも、危機対応という大義によるもの。正直、この大義以外に菅政権で自分が私が為し得ることはないと思ってきた。

 二つ目は現在の経済産業省の原子力政策を容認、追認できないということ。

 原子力に対する国民の信頼が失われている今、その稼働には徹底的な安全確保が不可欠である。にもかかわらず経産省は今までと何ら変わることのない体制で判断された基準によって安全宣言し、自治体への再開要請を行った。事ここに及んでも、国は判断を自治体に押し付けようとしているかのごとき姿だ。

 これでは、国の責務を果たすとは言い難いとの想いがあった。補佐官という立場上、任務以外には一切口をつぐんできたが、さすがにこれは追認、容認はできない。

 さらに、発災後の混迷は「法に基づいた責任と権限」によって行使されるという組織の原則を無視した結果の機能不全だったと思っている。何とか、そのことを修正し対策を検討実施してきたが、このまま状態を放置して最も求められるスピーディーで柔軟な対応がなされない状況が続くことも認められない。

 総理には、政務三役となって現行の経済産業政策、とりわけ原子力政策については受け入れられない、とはっきり伝えた。「ならば降りてもらうことになる」との総理のお言葉だったが、「それは総理がお決めになることです」とお伝えした。

 一年10か月ぶりに無役となった。

 一議員として、これからは誰にはばかることなく、何でも、自由に発信できる。押さえてきた想いも、遠慮なく発言していきたいと思う。

 退任の挨拶回りに、政府関係者、党幹部や幹部経験者の皆さんを回った。いきなり、メディアは小沢元代表訪問だけを取り上げ、「憶測を呼んでいる」などと報じている。違うだろ!、煽って、憶測招いているんじゃないの?!

 大臣退任の時は全議員に挨拶に回った。人としての礼儀を果たすことすら、政局に絡めてしまうことに、正直ゲンナリする。

総理大臣補佐官退任