核物質撤去の日米合意

2014年3月25日 (火) ─

 24日、オランダ・ハーグでの核セキュリティサミットに先立って、日米政府は東海村研究施設の高濃縮ウランとプルトニウムの米国への搬出と処分の共同声明を発表した。

 09年、オバマ大統領の「核無き世界」を目指すとしたプラハ演説によって、核不拡散のための兵器級核物質の回収が進められている中、今回の合意がなされた。

 東海村にあるJAEAの高速炉実験装置にある数百キロの核物質を米国に搬送したうえでプルトニウムが最終処分に向けた処理がなされることになる。東海村にはかつて常陽の視察に行ったことがあった(2011年12月20日まぶちすみおの不易塾日記「『常陽』に見るセネカの詩」)が、今回は、実験施設のわずかな核物質の撤去のことだ。

 そして撤去自体は評価されるべきことでもあるが、この動きに対し様々な憶測が乱れ飛ぶ状況が起きている。

 例えば数百キロのプルトニウムを米国に搬出し処分することの一方で、安倍政権が、既に40トンを超えるプルトニウムを我が国が保有しているにもかかわらず、今後、核燃サイクル推進によって更なるプルトニウムを生成することを正当化しようとしているのではないか、などなど。

 早速、ニューヨークタイムズからも取材依頼が入る。この日米共同声明により、一方で核燃サイクルが正当化されるのではないかとの疑問が示された。

 僕は民主党政権下の総理補佐官として事故直後の原発問題に向き合い、その後バックエンド問題議連の会長として核燃サイクルに対しての警鐘を鳴らし続けてきた。その立場を堅持しつつ、しっかりと見解を述べなければならないと取材に応じた。

 取材でも述べたが、問題は整理されなければならない。核物質の除去については日米での合意がなされたことは評価すべきだ。

 一方、核燃サイクルを推進するとする現政権の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会によってまとめられた「エネルギー基本計画に対する意見(平成25年12月)」は、問題視すべきものだと思う。

 ただ、メディアが論じているように、単に、「核燃料サイクル政策の着実な推進」として、これまで同様に事故後も核燃サイクルを推進するとした政府の方針と、今回の日米合意の間に整合性があるのか、あるいは、今回の合意は核燃サイクル推進正当化の手段ではないか、という形で問題を単純化すべきではない。

 以前にも述べた通り、アメリカは常に諸外国に対し原子力協定締結に向けては「ケースバイケースアプローチ」を施す(2013年12月4日まぶちすみおの不易塾日記「ケースバイケースアプローチ」)。

 ある意味、エネルギー省と国務省で役割分担をして原子力という資産・資源であると同時に負債にもなりうるこのエネルギー源を巧みに使っているのである。

 日本は、その傘の下で動いているに過ぎない。

 だから、日米合意に基づく核物質撤去と同時に核燃サイクルの推進も併せてアメリカは双方を推進することを何の問題も感じずに推奨するだろう。それこそが、世界の中での覇権を誇る超大国アメリカの本来的な行動なのだ。核軍縮や核無き世界を標榜しながらも、自国の安全保障や自国の経済的利益のためには原子力の推進に力を注ぐ。

 まさに、ケースバイケース。

 これこそが、アメリカの本質であり、だからこそ、我が国が自らの災厄も含めて教訓としながらも判断しなければならない重要な政策の一つが、エネルギーであり原子力政策なのだ。

 ニューヨークタイムズには、このような趣旨の説明をした。

 そして、原子力の在り方と核燃料サイクルのフィクションをしっかりと、整理して捉えなければならない。

 核の国際秩序とは何か、を日本が発信できる好機と考えなければならない。

核物質撤去の日米合意