最も長い一日

2009年9月19日 (土) ─

 議員として国会にやってきて、最も長いと感じる一日を過ごした。

 一昨日夜、国土交通副大臣の内示を受けた。東京を離れていたので翌朝、一番で戻る。

 副大臣も認証官であることから、宮中での認証官任命式もありモーニングの準備。本会議や開会式、閉会の本会議と会議が続く中、副大臣人事が明らかになり事務所は来客と電話対応でパンク。

 国交省からは次官以下の幹部が会館を訪れ挨拶と同時に、秘書官二名を紹介される。その瞬間から、全ての公務を取り仕切る役所体制が僕の周りに出来上がった。

 午後6時、モーニングを着て官邸へ。副大臣集合。そして6時半、官邸から皇居へ。副大臣拝命の辞令である「官記」を受け取る作法を式部官から説明を受け7時40分、正殿松の間で任命式が始まる。陛下の御前に進み出て敬礼の後、鳩山総理から官記を受領し再度陛下の御前に。「重任ご苦労に思います」との陛下のお言葉を受け、再度敬礼して下がる。

 控えで署名して、皇居で記念撮影。その後、官邸へ。官邸で総理、官房長官と副大臣で記念撮影の後、副大臣会議が始まる。様々な説明を官房副長官から受け、午後9時半終了。

 そして、官邸を後にしていよいよ国交省に初登庁。

 そういえば、テレビで新任大臣の初登庁が流れていたなぁ、と思い出す。長妻大臣に厳しい視線が注がれていた厚生労働省のロビーの景色が目に浮かんだ。

 もう、9時半を回っているので役所に人がいると思っていなかったのだけれど、国交省の正面玄関ロビーには省職員がずらりと待っていてくれた。入るなり、拍手を受ける。正直びっくりしてしまいどぎまぎしながら正面、右、左と皆さんにお辞儀して入った。

 4階の大臣フロアではまた関係職員の皆さんからいっせいに拍手で迎え入れられる。

 大臣室では、前原大臣がニコニコして待っておられた。大臣室で、辻元清美副大臣と共に前原大臣から「担務」と「職務代行順位」の指示を受ける。担務とは責任範囲のことであり、職務代行順位とは大臣の代わりの責任順位。

 「災害対策関係施策、国土関係施策及び社会資本整備関係施策の総括」が担務、「第一順位」が職務代行順位。辻元副大臣が「安全・危機管理関係施策、交通関係施策及び北海道開発関係施策の総括」で「第二順位」となった。大雑把には僕が旧建設省系事項、辻元副大臣が旧運輸省系事項と言うことか。

 その後、副大臣室で幹部職員からの挨拶を受け、さらに今後の日程説明がなされた。もう、連休中の地元日程は全てキャンセルの状態だ。

 前原大臣からも、「地元には帰れないと思ってくれ」と檄を飛ばされる。

 しかし、なんとも不思議な気分にとらわれる。

 つい、半年前にはあの予算委員会の現場で、必死に格闘していた相手が国交省。4年前の耐震偽装問題以来、そしてより深くは2年前の道路行政問題で国交省とやり取りしてきた。何度も国交省の役人を呼び出しては資料を出せ、説明せよ、と臨んできた。

 時には、本当に激しい押し問答含めた対立を繰り返しながらも僕としては、重箱の隅を突くような瑣末な問題ではなく、本質論を展開してきたという自負がある。

 深夜の国交省を訪ね、資料請求や説明を求めたことも一度や二度ではない。社会資本整備審議会や国幹会議の傍聴にも押しかけて行き、凍てついた視線を感じたことだってあった。

 それが、今は、職員一同の皆さんからあたたかく迎え入れていただいた。

隔世の感あり、だ。政権交代の現実とはこういうことなのだ、とさらに実感する。そして、戦いというよりはむしろ僕は、マネジメントという意味でこれから臨んでいきたい。

 国家のために生きることを選択し、志を持って公に尽くす覚悟を持ってこられた、国交省の皆さんと共に全力で取り組む所存だ。

 国交省を出て、やっと宿舎に戻り初めて朝から何も口にしていないことに気づく。

 もう日付が変って、外に食べに行く元気もない。奈良から戻ってきた娘に、牛丼を買いに行ってもらった。

 長い一日だったが、これからもっと激しい日々が始まる。

最も長い一日