政策議論こそ求められるもの

2011年7月2日 (土) ─

 一議員としての自由な立場での発言について、さっそく「政府を批判」などと報道するメディアを目にするが、本当にこの国の政治をどう考えているのか。政局にからめさせることが、国民の目を引く一番の手立てだとでも思っているのか。それとも、永田町の中で目が曇ってしまっているのか。

 僕が、今、一議員として最も伝えたいのは、「堂々とはばかることなく政策議論を国民の前で行うことこそ、真の民主主義の姿である」ということ一点だ。

 政府や党執行部の立場では政策議論を純粋に行うにはあまりにもしがらみがありすぎるということを、政権交代後の今日までに十分経験し理解してきたつもりだ。関係省庁の調整の果ての決定について、所管外のことを語ることがどれだけ行政組織に混乱を招くかということぐらいはよくわかっている。

 だから、行政職にいるときは立場をわきまえてきたし、それこそ組織内の議論の段階で全力で討議してきた。そして、組織の決定には従ってきたし言を慎んできた。また党執行部においては、政調部門という所管での議論にゆだねるべき立場の時にはそれを理解しわきまえてきたつもりだ。

 しかし、一議員となっては、自由な政治的発言をするのは当然である。

 かつ党内議論が二分するような議題の場合には、体面を保つための結論づけを良しとするようなままでいいのかということを、国民の代表として繰り返し発すべきである。再度、議論の俎上に載せようとする努力は決して否定されるものではない。万が一、そうした言論を組織が制限するようなことがあってはならない。まさに、政策議論は、民主主義の根幹にかかわる事なのだ。

 だから、はばかることなく、政策議論を行っていく。

 そして、それをただただ政局がらみにあげつらうようなメディアに対しても徹底して議論を挑む。

 今日の政治の混迷に対しての責任は、我々にあることは真摯に受け止めなければならない。しかし、それを直接国民に伝える立場のメディアも、自らの胸に手を当てて考えていただきたい。

 そして、国政にかかわるすべての人々が、謙虚に反省に立って前へ進めようという覚悟が求められていると思っている。

 そのつもりである。

政策議論こそ求められるもの