忘却の彼方からの帰還

2005年7月20日 (水) ─

 母は重度の認知症である。直近の診断で医療的見地からは「アルツハイマー」との所見も聞いている。

 かつての「自身」を取り戻す瞬間はもはや、ほとんどない。

 毎日デイサービスに通いながら、季節や昼夜がわからない状態で、それでも家族の必死の介護の中で、(一見)楽しそうな日々を過ごしてもらっている。

 息子として、それで十分と思っていた。

 家族には、不在ゆえに迷惑をかけてしまって申し訳ない想いでいっぱいであるが、母には、とにかく楽しい日々を過ごしてもらいたいだけである。

 そんなところに、父の入院である。なかなか厳しい状況である。

 母は、父への複雑な感情が渦巻いているようであることは、息子として何となくわかっていたのであるが、いくらその存在すらわからなくなっているとは言え、まさかこのまま会わずにいるわけにはいくまいとの思いもあった。

 ただ、もし万が一、母が逆に父の不在を薄れかけている意識に刻んでしまって、探しに出ようなどの行動に昼夜問わずに出られてしまってはとの不安もあった。

 しかし、いくらなんでも、このまま入院中の父に会わないままはあり得ない。遅すぎたかもしれないが、今日は連れて行こう、と決心し皆でたずねた。

 母は、やはり記憶が飛んでいた。父に会っても、父と認識できないようで、気味悪がって病室からすぐ出てくる。

 子ども達が「おばあちゃん、おじいちゃんだよ!。」と何度も手を引いて入っても、「ダメよ、寝てる人のとこいっちゃ!。」と言って、出てくる。多分、わかってない。

 その繰り返し。やはり、無理か...?。

 あきらめかけてたところ、再度子どもに手を引かれ、病室に入って、すっかり顔相が変わってしまった父の間近に行くと、にっこり笑って「まぶちしゅんぞうさん!。」と言葉を発した。

「私は、まぶちのりこです!。まぶちのりこです!。」

『わかった、わかった...。』

という父の無言の答えに、母はわからず、繰り返し、「まぶちしゅんぞうさん、まぶちのりこです!。」と語りかけていた。

 父の閉じた目尻に、涙が見えた。

 ジーンと熱いモノがこみ上げてたまらなくなった。

 おそらく、一ヶ月に十数分もあるかないかの、記憶を取り戻した一瞬。

 ほとんどが、忘却の彼方に去ってしまった母の心に、一瞬、父が帰ってきた。50年近く連れ添って生きてきた夫婦。

 息子達にはわからない、夫婦の間のさまざまな思いがあったのかもしれないが、今はただ、ひょっとして二度と得ることのできないかもしれない貴重な時間を、しっかりと刻んで欲しいと、願うばかりである。

 病室ではこらえていたが、子どもたちや家内や義母や、家族と離れて、東京へ向かう新幹線の中で、涙が溢れて止まらない。

 もっと、早く、二人に、そうして手を取り合って欲しかった。

 もう、あまり、残された時間のない二人の、この状況を思うと、息子として、切なくて、切なくて、切なくて、たまらない...。

忘却の彼方からの帰還