大連訪問(その2)

2006年9月18日 (月) ─

 大連到着で向かったのは、大連ソフトウェアパーク(DLSP)。

 中国遼寧省の大連市政府は、この地を「中国のシリコンバレー」にしようと、大変な力を入れている。

 日露戦争後、ロシアから租借権を引き受けた日本政府は、大連の統治を行う。ロシアが創った「ダーリニー」という街を「大連」と改称して、南満州鉄道株式会社(満鉄)の本社を置き、人や物資を北進させる政策を推進する。後に関東軍の手によって満州事変が起き、満州国建国へとなるのだが、第二次世界大戦終結までの、実に40年余りを日本政府が統治していたということもあって、中国の中でも日本に近い街のひとつとして数えられる場所でもある。

 ここに、市政府の開発によって、広大な敷地をもったソフトウェアパークが開発され、日本から、さらに欧米からの企業が進出していた。

 なぜ、大連がシリコンバレーに?、との質問の答えのひとつは理科系技術者養成の土壌があることがあげられる。大連には社会人も含めた学生3万9千人を抱える大連理工大学を始め、大連海事大学、大連交通大学、東軟情報技術大学など数多くの技術者養成学府がある。そして、40年間の日本統治が大連市民にどのような心理的影響を与えているかは別として、語学教育についても日本語が盛んであることも事実である。日本語を読み、書き、聞き、話すことができる極めて知的レベルの高い若い中国人技術者の卵が多数輩出されるところで、多くの企業が何をしようとしているのか?。

 まずは、お誘いいただいた信頼できる経営者のいらっしゃる、「IBM」をたずねた。ここで、BPO、BPTSのコンセプトをお聞きする。

 グローバルIT企業は今、コンピューターやシステムの製造販売を行うのではなく、事業を進める上での課題の解決をお手伝いするビジネスソリューションを提供してきた。このソリューションの提供とともにシステムを販売しているのがIBMだったりNECや富士通などの日本のITスーパーゼネコンと呼ばれる企業群である。

 しかし、さらにこうしたソリューションの提供は高度化され、世界に誇る最高のビジネスプロセス(業務手続)そのものを外部委託(アウトソーシング)する動きが出てきた。ITスーパーゼネコンは、ありとあらゆる業種の業務手続の効率化のお手伝いをしているわけで、おのずと現時点における最高の処理を把握し提供することができるようになっている。

 たとえば、会計処理や人事給与、在庫管理などの業務は現地にいなくても情報があればその処理そのものを「最高の業務手続(ベストプラクティス)」によって請け負う(あるいは外注する)ことが可能になる。

 IBMにおいては、DLSPにその拠点を設けているということだった。現地の社長からプレゼンを受けた後、視察してまわって驚く。中国人のみならず、オーストラリア、アラブ系まで多くの技術者たちが日本語で開発業務ならびに業務処理を行っているのである。グローバル化もここまで来ているか!?、との想い。さまざまな企業名の掲げてあるブースは厳重な管理がなされていて近づけない。つまりそこは顧客企業の「経理部」だったり「人事部」だったりするのである。無論、作業はIBM技術者たちが「ベストプラクティス」を持ち込んでいるとのこと。

 うーん、このように最先端の業務処理で通常業務が外部委託されるようになると、企業の投入すべき資源はひとえに開発競争などに集約されるんだろうな。

 ますます、大企業と中小零細企業の差は開くばかりであり、そしてその差はもはや埋め尽くせないレベルにまで達しようとしている。

 そして、続いて大連市政府のDLSPへ訪問。国家発展改革委員会、情報産業省、商務省、国家科学技術省の大々的サポートによって、大連から旅順まで続く沿岸部に二期までの計画が予定されているソフトウェア産業基地の計画概要説明を所長から受ける。続いて、同敷地内に広大なキャンパスを持つ大連理工大学へ。副学長にお迎えいただいて、ここでも技術者養成過程の説明を受ける。多くの企業が大学と連携してインターンなどを受け入れ、即戦力としての育成に力を入れている。

 中国全土で年間400万人の卒業生が生まれてくるわけで、インドなどが先行してきた情報技術者供給基地の地位も、まもなく中国に脅かされる状況となるのは明らかである。

 産官学の連携は、想像以上に強固でありかつグローバル化が図られている。

 草の根からしっかりとやっている実感がある。驚愕と焦りと、そしてメガコンペティション=大競争時代にどのようにわれわれが取りくむかを考えねばならない、と痛感する。

 この5年5ヶ月で、わが国に格差拡大をもたらした小泉政治。しかし、問題は格差そのものよりも「格差の固定化」であることを十分に認識しつつ、「政冷経熱」の一言で終わらせてはならない、日中関係があることを肌で感じたのであった。

 そして、ご多分に漏れずその後、大連の餃子と東北料理に舌鼓を打ったのは言うまでもない...。

大連訪問(その2)