休日の使い方

2008年5月3日 (土) ─

 憲法記念日の今日は事務所も完全に閉めて休みとした。事務所の面々も久々の家族サービスだろうか。

 僕はといえば、上の子たちを連れて買い物に出かけるヒロコに「オイ、俺どうしたらいいの!?」と情けなく声かけたけど、「お願いね!」と振り向きもせずに置いてかれた。

 見ると、かたわらに下のチビ二人がどっか連れてってー!とピーピー騒いでいる。

 ゲッ、やられたヨー!

 何で、お前ら一緒に連れてってもらわなかったの?、と聞くと「すぐ、つまんないって言うからダメだってぇ!」と合唱する。そんな、すぐつまんないって言うやつ「どっか連れて」くのは大変だぞ。

 仕方なしに、天気が良いからと出かける。公園行こうか?、え、イヤ?ウーンじゃぁ、池でも行くか?、それもイヤ。困ったなぁ。

 結局図書館に行って子どもの本を探したり、佐保川の河川敷におりて遊ぶ。そのうちに、ヒロコから電話がかかってきてサイフにお金が入ってなかったから合流してくれとのこと。なんじゃ、そりゃ!?。

 結局、ヒロコやお姉ちゃんたちとも合流して、あーでもない、こーでもないと一日の大半が過ぎてしまった。

 しかし、実はこんなたわいもない休日の一コマこそ日々の暮らしを一生懸命に生きる人々の日常ではないかと思う。僕もサラリーマン時代、毎日普通に働き休日は家族と過ごすというすごし方をしていた。今は政治の世界に入り、普通の暮らしというものを失ってしまったが、かつての日々を懐かしく思うときがある。

 あー、せっかくの休み何もできんかったなぁとボヤキながらも、何言ってんの!休みぐらい少しは子どもの面倒見なさいよ!などとお母さんに小言を言われる世のお父さんたち。

 そんな家族の暮らしは、物価高や賃金抑制によって確実に窮屈なものになりつつある。町に出て、ゴールデンウィークだ、と浮かれている空気を感じることはなかった。なんとなく、「苦しくなっていくなぁ」という漠然とした不安感を多くの方が感じているように思う。

 政治家も、テレビに映し出される街頭インタビューなどで憤りを口にする人々の声だけではなく、何気なく過ごす日常の中に、口にこそ出さないけれど不安の中に暮らしている人の微妙な感情の変化を察することができなければならない。

 今日、こうして過ごした一見無駄にも思えるような久々の休日の使い方は、僕にそんなことを感じさせてくれた。

休日の使い方