仮設住宅と仮設職場

2011年7月31日 (日) ─

 お盆(8月中旬)までに希望者全員が仮設住宅に入居できるようにするとした政府の目標が達成できなかった、との厳しい意見を野党からも受けることになったが、阪神淡路大震災にみる復興プロセスをよく検証して、仮設住宅を造ることも大切だがどのようなとりあえずの生活環境を築き上げるべきかの議論が必要ではなかったかと改めて思う。

 平成7年1月17日阪神淡路大震災発災後、避難所に避難されてきた避難者のピークは6日目の1月23日。31万7千人に上った。仮設住宅の着工はその三日前の1月20日に始まり避難者の初入居は発災後14日目の2月2日。仮設住宅全戸(4万8300戸)は7か月後の8月11日に完成した。仮設住宅の入居戸数ピークは10か月後の11月、4万6617戸であった。

 この間に、避難所は8.5か月後の9月30日に廃止し、どうしても仮設への入居を希望されない方々は待機所・旧避難所の一部継続使用等が続いた。そして2年2か月後には待機所廃止、4年後の平成10年12月に旧避難所の廃止、仮設住宅の入居者ゼロは5年後の平成12年1月であった。

 一方、このような避難者の仮設住宅への集約と退去の中で行われたのが公営住宅の着工である。仮設はあくまで仮設。安心して住める住宅を整備する必要性を考慮して、発災後の2か月後の3月27日に災害復興公営住宅が着工されている。1年後の平成8年2月には災害復興公営住宅は完成し出し、全戸完成は5年10か月後の平成12年1月だった。

 こうして、仮設住宅をとりあえずの避難先として整備するとほぼ同時に公営住宅を整備し、仮設から公営住宅への転居を促し生活の質を確保するという政策がとられたことがこのプロセスからわかる。

 東日本大震災は規模も被害も全く違うので同列に語るつもりはない。ただ、このように生活の質をどうやって向上、維持させていくかという観点が初期段階で不十分ではなかったか。阪神淡路は確かに住宅の整備によって、生活を取り戻すことができた。働く場所はまだ周辺市街地や大都市大阪によって供給可能であった。

 翻って、この震災ではどうか。

 仮設住宅の話ばかりが当初は先行しすぎるきらいがあった。むしろ、住む場所ができても働く場所がないことが今や深刻な課題だ。

 現地より、仮設の住宅だけでなく、仮設の水産加工場などの産業への支援の声も大きい。

 生活全体を考えながらの復興が必要である。

仮設住宅と仮設職場