メール問題のその後

2006年3月8日 (水) ─

 マスコミ的には大変オイシイ話題なのだろう、いまだにメール問題のその後が取り上げられている。

 永田代議士への情報仲介者と言われているフリーのジャーナリストA氏が、昨年秋にたまたま私を取材に訪れていたため、そのことについての取材が押し寄せる。

 こっちこそ、私が会ったことがある人と聞かされて、ビックリ。

 若年富裕層(ヤンエグ?)向けの新雑誌「デュモン」の創刊第二号の若き政治家特集でまぶちを取り上げたいと、直接事務所への依頼があったのが昨年の9月末ごろ。

 10月初旬にインタビューを受け、その後記事が載った雑誌を送ってきた。そういえばオニケンやチカちゃんが「代議士の写真だけが顔半分で切れている!、失礼だよね!」と憤慨していたのを覚えている。

 私以外にも政治家が何人か載っていたが、皆さんちゃんと写ってた。

 「顔半分なのは、俺の顔が恐いからじゃないの!?」と本人はいたって呑気に構えていたものだ。確かインタビューに来た人が例の情報仲介者だと言われているA氏だと思うが、印象に残ってないんだよなぁ。

 その後、耐震偽装でホントにたくさんの取材を受けてきたのでごっちゃになってしまっていて、どんな人だったかも正直あまり覚えていない。

 しかし、「アエラ」の中吊り広告では「馬淵」の見出しまで出されて、またなんか言われるんだろーなー。

 そういえば、A氏と一緒に来たもう一人の記者(?)がたまたまオニケンと大学が同じで卒業年度が同じなものだから、親友だの、はたまた黒幕説まで流されて、とんでもない話。だって学部も違うぜ。

 さすがに各メディアも「ガセネタ」とすぐわかるようで、その後の取材も打ち切られるようだが、こうして、いろんな話をどんどん膨らまされていくっていうことも覚悟せねばなるまい。

 メール問題のその後は、まだまだ小さなところでくすぶっている。

メール問題のその後