まっすぐひたむき訪中記(その5)

2005年11月21日 (月) ─

 昨晩の曽維秘書長との会食後に日本総領事のブリーフィングという日程は、きつかった。酒飲んでからっていうのはしんどいよね。

 でも、しっかりと総領事より話を伺い今後の糧とする。いろいろ、本音の話を聞いたけど、オフレコ。ここでは、書けない。

 そして、翌朝、7時40分発で陸路で丹東へ。距離は300キロ。鴨緑江を境とする中国と北朝鮮の国境の町。たっぷり、3時間かけて到着。すぐさま、鴨緑江に向かう。そこで遊覧船に乗り込む。この国境は鴨緑江なのだが、両国の中で「中間線」の取り決めがないため、北朝鮮の岸壁ぎりぎりまで船が近づくことができる。

 ホンの10m先に北朝鮮の国土が広がる。

 北朝鮮の人民がこちらを眺めているが、手を振ると顔を下に向ける者あり。子どもたちも大勢集まっている。中国側の通訳に聞くと、政治集会(?)だとのこと。主体思想の教育を広場で行っているという。
うーん、そうは見えんかったけどなぁ。

 川の中央から眺める両国の景色は雲泥の差がある。高層ビルや新築のビルがぎっしりと立ち並ぶ中国の丹東市と、建物もちらほらとしか見えない殺風景な光景の北朝鮮の新義州。ハドソン川をはさんでのマンハッタンとニュージャージーと言ったら怒られてしまうかもしれないが、天と地ほどの都市形成の違いだ。

 しかし、それでも中国と北朝鮮との間には、朝鮮戦争時に培った「抗美援朝(アメリカと戦って、北朝鮮を助けた)」の固い絆があるように感じられる。

 そして、それは丹東の街中の朝鮮族の暮らしぶりが、しっかりと融合して根付いている事実に裏付けられている。単に、共産圏だった(あえて過去形にしたが...)ということだけではなく、民族間の長い歴史の中での繋がりを感じずにはいられない。

 丹東市の書記とも会見し、件の抗美援朝記念館を訪問して瀋陽にまた300キロ走って戻る。4時半に、瀋陽へ進出している日系企業の航天三菱自動車エンジンの工場を見学。

 総経理からの事業概要の説明を受けながら、中国でのビジネスの最新情報を聞く。さまざまなカントリーリスクに苦労されながらも利益を出していく命題に突き進む、皆さんに頭が下がる。

 ここも早々に辞して、瀋陽での最後の政治日程である瀋陽市の張行相書記と会見、会食。

 さすがに、中華料理のフルコースにもうヘトヘト状態だ。15日の夜から、16、17、18と三日間の昼夜連続のフルコース。4日間で7回の文字通り中華三昧は、さすがにあっさり好みの日本人にはこたえる。

 もうすっかりベルトの穴も1個は余裕で増えてしまった。ダイエット続けてたのに、もはや、あきらめの気分で食うか!、とばかりに開き直る。そ、会食後も、瀋陽の街中をうろうろしました。

 庶民感覚の店でも入ってみようと、冒険。

 朝鮮族のやっている焼肉屋に入って、キムチなどで真露を飲む。蓮舫が「水は気をつけて!。」と、洗ったと思しきコップの水気を丁寧にティッシュで拭い取る。

 ここまでやれば大丈夫か。で、一同、乾杯。

 やれやれ、何事もなく、岡田訪中団は無事日程終わりましたねぇ、と岡田さんにホッとして語りかける。

 「いや、まだ明日の記者懇、残ってるよ!。」

 最後まで、まっすぐひたむきな返事をいただいた。了解。団長!。

まっすぐひたむき訪中記(その5)