「常陽」に見るセネカの詩

2011年12月20日 (火) ─

 昨日は昼より原子力バックエンド問題勉強会の役員で、茨城県東海村と大洗町の独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)の再処理関連施設を視察。

 朝イチの松山市駅前での永江孝子代議士との街頭演説を終えて、羽田から上野そして東海へと飛行機・車・JR乗り継いでの茨城。

 鈴木理事長以下幹部の皆さんの出迎えをいただいて概要説明から視察に入る。東海村では、再処理施設分離精製工場やガラス固化技術開発施設、地層処分基盤研究施設などを視察し、車で大洗町に移動して高速実験炉「常陽」、照射燃料集合体試験施設を視察した。

 バックエンド問題の課題に向き合っていく覚悟であるとの当会の意思について理解いただき、丁寧な説明を受けた。

 勉強会としてはすでに11回を重ね、現場視察も含めて年末から年始にかけて取りまとめの段階に入ろうとしてる。利害調整のみならず、論点整理すらできていなかったと言わざるを得ないこの問題について、いよいよ本格的に議論を深めるところに差し掛かる。

 高速増殖炉「もんじゅ」の前提となる実験炉「常陽」の炉内にも入る。

 さすがに老朽化は痛感する施設でもある。

 「常陽」炉内に入るとすぐその足元の床には円形に、ラテン語が書かれていた。

 古代ローマ時代の詩人であり哲学者セネカの詩の一節だ。

「『かくも明白な事実を我々が今やっと体験した』ということに、子孫たちが驚くときが来るであろう!」

 77年4月に初臨界を実現した当時の原子力にかける夢と希望を刻んだのに違いない。往時の熱気を感じさせる一節でもある。

 そして一方で、3.11の災禍による福島第一の事故を経験した今、むしろ敬虔な気持ちでその「明白な事実」の先にある未来に目を向けなければならないであろう。

 セネカの別の詩の一節。

「我々の計画というのは、目標が定かでないから失敗に終わるのだ。どの港へ向かうのかを知らぬ者にとっては、いかなる風も順風たり得ない。」

 これも刻まなければならない。

「常陽」に見るセネカの詩